中西太さんは「怪童」の呼び名とは正反対の繊細さ ピンチになると手で顔を隠し… 元西鉄担当が悼む

[ 2023年5月19日 04:30 ]

中西太氏
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 私が西鉄ライオンズ担当になった昭和42年、中西さんは選手兼任監督だった。すでに全盛期は過ぎて、左手首の腱鞘(けんしょう)炎がひどく実際、試合に出ることは少なかった。誰もいなくなったグラウンドで上半身裸になり、黙々と練習する姿を覚えている。

 ただ、バットを振るのも難しいような状態でも打撃練習の打球には本当に驚いた。私の肌感覚だが、当時、全盛の王さんや長嶋さんと比べても打球の速さが違ったと感じた。

 大きな体と豪快な打撃で「怪童」と言われたが、性格は正反対。豊田泰光さんに「そんな手首ならば切ってしまえ」と毒づかれると、言い返すことなく黙って下を向いた。若くして監督になったが、守備でノーアウト満塁などのピンチになると手で顔を隠して、まともに見ることができない。終わった後に「どうなった?」と周囲に聞く人。大型連敗すれば休養したり、あの風貌からは想像がつかないほど繊細だった。

 大切にしていたのは義父にあたる三原脩さんのメモだった。常に持ち歩いたが、人見知りな性格もあって、監督として「三原イズム」を自分の言葉で選手全員に伝えるのは苦労したようだ。だから、1対1で選手に伝えるコーチという仕事は中西さんの性格には合っていたように思う。

 多くのファンはその豪快な打撃を見たがった。選手時代、本当に福岡に愛された男だったと思う。合掌。(元西部本社取締役編集局長、67~72年西鉄担当・新貝行生)

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