中西太さん逝く 豪打の「怪童」 大谷を想起させるような無類の飛距離

[ 2023年5月19日 04:00 ]

現役時代、豪快なスイングでホームランを量産した中西太さん

 強打の内野手として西鉄(現西武)の黄金期を支え、豪打から「怪童」の異名でファンに愛された中西太(なかにし・ふとし)さんが11日午前3時38分、都内の自宅で心不全のため死去したことが18日、分かった。90歳。告別式は家族で執り行われた。現役時代は豪快な打撃で数々のタイトルを獲得。監督、コーチとしても元阪神の掛布雅之、元オリックスのイチローら各球団で大打者を育てるなど、球界に多大な功績を残した。

 昭和のプロ野球で数々の伝説を残した「太っさん」がこの世を去った。中西さんは1950年代、稲尾和久、豊田泰光らと黄金時代を築いた西鉄の主力として、豪快な打撃でファンを魅了。時は流れ、当時の主力選手の多くは鬼籍に入った。中西さんは昨年8月、本紙の取材に「私どもの仲間は皆亡くなってね。私一人ぐらいしかいないので。寂しい…」と胸の内を吐露。「私も今度大きな手術をする」とがんの手術を受けて闘病を続けたが、そこから1年もたたずに帰らぬ人となった。

 甲子園に3度出場した高松一(香川)時代から「怪童」と呼ばれた。1952年に西鉄に入団して新人王を獲得。猛烈なスイングスピードから現代の大谷翔平(エンゼルス)を想起させるような無類の飛距離を誇った。53年8月29日の大映戦では、平和台球場の場外に飛び出す160メートルとも180メートルともされる特大弾。さらに、低いライナーに遊撃手が「捕れる」とジャンプするも、打球がそのまま伸びてスタンドインした逸話は有名だ。「ファウルチップでボールの革のこげたにおいが投手まで届いた」「素振りの音が相手ベンチまで響いた」などの伝説には事欠かない。

 当時の西鉄は個性豊かな選手がそろい「野武士軍団」「流線型打線」と呼ばれた。中西さんは53年、2リーグ制以降では最年少記録となる20歳で本塁打、打点の2冠。同年に達成した打率・314、36本塁打、36盗塁の「トリプルスリー」も史上最年少だった。

 穏やかな人柄が災いしてか、監督としてのリーグ優勝は1回にとどまったが、コーチとしては高い指導力で数多くの名選手を育てた。代表格は元阪神の掛布雅之や元ヤクルトの若松勉、岩村明憲で、オリックスのコーチ時代にはイチロー、田口壮も指導。田口や岩村は、中西から授けられた「何苦楚(なにくそ)魂」を座右の銘にしていた。何事も苦しい時が自分の礎を築く、の意味だ。

 中西さんは早大進学の夢がかなわず涙し、反骨心をバットに込めて数々の伝説を残した。きっと今頃、天国で西鉄時代の仲間と再会し、昔話に花を咲かせているだろう。

 中西 太(なかにし・ふとし)1933年(昭8)4月11日生まれ、香川県出身。高松一時代から「怪童」と呼ばれ甲子園に3度出場。1952年に西鉄(現西武)に入団。同年に新人王に輝き、56年にMVP。首位打者2度、本塁打王5度、打点王3度など数々のタイトルを獲得し、西鉄の黄金時代を支えた。62年からは選手兼監督で69年に現役引退。引退後はヤクルト、近鉄、巨人、ロッテ、オリックスでコーチ、日本ハム、阪神で監督を務めた。99年に野球殿堂入り。

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