野手から投手に転向! ソフトB・小林の並々ならぬ覚悟「心のどこかに投手への思いはずっとあった」

[ 2022年11月15日 15:20 ]

<ソフトバンク>キャッチボールをする小林(撮影・中村 達也)
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 毎週火曜日にたっぷりとソフトバンクのファーム情報をお届けする「筑後鷹」。第3回は10月22日に戦力外通告を受け、14日に育成選手として再契約した小林珠維内野手(21)を直撃。打者としては3年間で1軍出場はならなかったが、東海大札幌時代は最速152キロを誇る剛腕を買われ、投手に再挑戦する。「投手→野手」は成功例多数だが、その逆の「野手→投手」は日本球界では異例。「投手・小林」に懸ける思いを聞いた。

 後悔のない野球人生を送るため、小林はもう一度マウンドに立つ決意を固めた。

 「来年で4年目。後がないので、出し惜しみしないことがベストだと思った。この3年間で野手として打席に立った経験を生かすのも一つ。内野にいて投手を近くで見て気付いたこともあるので、それを生かして挑戦したい」

 東海大札幌時代は最速152キロの剛腕だった。U―18日本代表候補合宿では、当時大船渡の佐々木朗希(ロッテ)らとしのぎを削り、プロ8球団から調査書が届いた。19年ドラフト4位で入団したソフトバンクでは高校通算30本塁打の強打、50メートル5秒9の身体能力を買われ、野手としてスタート。ただ、3年目の今季は2軍戦38試合で打率・160、0本塁打、9打点。守備と打撃に課題が残った。1軍デビューはかなわず「全てが初めての経験。バットもこんなに振ったことがないし、ゴロもこんなに捕ったことがない。これが現実」と受け止めた。

 10月22日、来季構想外が通達され、育成選手の打診を受けた。球団には「小さい頃から投手でのプロ野球選手に憧れていた。8球団から調査書が届いたことがあったので、心のどこかに投手への思いはずっとあった」と投手への未練を伝えた。

 筑後ファーム施設の秋季キャンプでは、投手練習メインで1クールに1度は野手練習に参加している。生きるのはプロの打席の経験。「打ちにくいのは小さく速く曲がるボール。あとはキレがある、球の出どころが見えない投手。ただ(球が)速くても勝てなくては意味がない」と打者心理を理解した“3年間”は小林の強みだ。

 第1クールのブルペンでは最速146キロを計測。それでも、「質に関してはまだ野手のボール。回転数、軸はまだまだで投手になり切れていないので、そこを戻していきたい」と理想は高い。まずは3年のブランクを取り戻すことから始める。

 初ブルペンの36球では「肩がバキバキに張りました」と“あの”感覚を思い出した小林。「練習メニューを含めて凄く新鮮。また一から始まったなと。でも(来季は)4年目なので勝負にいかないといけない。もうルーキーではないので」。並々ならぬ覚悟で、まずは第一目標の支配下登録を狙っていく。(福井 亮太)

 ◇小林 珠維(こばやし・じゅい)2001年(平13)5月7日生まれ、北海道帯広市出身の21歳。浦河堺町小1年時に野球を始め、札幌八軒中時代は札幌新琴似リトルシニア所属。東海大札幌では最速152キロをマークし、打撃では高校通算30本塁打。遠投120メートル。1メートル83、88キロ。右投げ右打ち。

 ▽野手から投手への転向例 遠山奨志は阪神、ロッテで投手としてプレーし10年目の95年に野手転向。98年から再び投手となった。オリックスでは嘉勢敏弘、萩原淳、今村文昭がいずれも1軍で野手として出場し安打を記録しながらその後、投手となった。現役では外野手として16年育成ドラフト1位で入団した張奕(チョウヤク)が18年から投手に転向。また、日本ハム育成の姫野は外野手として入団も、21年シーズン中の6月に投手に登録変更された。今年6月には中日・根尾がシーズン途中に投手へ転向し、中継ぎとして25試合、防御率3・41の成績だった。

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