【内田雅也の追球】「両刃の剣」退任表明どちらに働くか、危険な船出

[ 2022年2月1日 08:00 ]

昨年11月、オーナー報告を終え、会見する矢野監督(右)と谷本球団副社長

 キャンプイン前日になって、阪神は妙な動きがあった。31日午後2時30分、球団広報からのメールで4月1日付人事異動のお知らせが届いた。

 球団副社長の谷本修が球団オーナー代行となり、電鉄本社の取締役スポーツ・エンタテインメント(SE)事業本部長に就くという。つまり、現場を離れるわけだ。

 その3時間後に矢野が「今季限りで退任」と表明した。その覚悟は知っていたが、選手に伝え、共同記者会見で話したのにはさすがに驚いた。

 関係者から何本か電話があった。こちらから電話し、LINEもした。以下はそのまとめだ。

 矢野は2軍監督だった2018年10月、監督・金本知憲(現本紙評論家)が事実上解任となり、1軍監督へ昇格した。金本解任を執行したのは当時の球団社長で、同日、谷本は金本続投を前提に矢野に1軍ヘッドコーチ就任を要請していたのだった。以後、谷本は矢野の良き理解者となり、陰で支えていた。

 ところが、その谷本が4月からいなくなる。矢野としては後ろ盾を失う思いだったろう。

 辞意は昨季終了後、伝えていたそうだ。正式に続投が決まったのは昨年11月9日、オーナー・藤原崇起(電鉄本社会長)へのシーズン終了報告を行った時である。1年契約での留任が決まったが、矢野は「1年限りで退任」と意向を伝え、了承を得ていた。今回の人事異動発表で、黙していた思いを打ち明けたのだ。

 矢野が辞意を抱いた理由は想像がつく。昨季は最大7ゲーム差をつけ、首位を快走しながら、優勝を逃した。V逸の責任を感じていた。

 「辞めろ」「おまえの責任」……など、ツイッターやヤフコメなどネット上で批判にさらされていた。当欄でも矢野について書くと、批判的な反応が相次いだ。人気球団の監督の宿命とはいえ、誹謗(ひぼう)・中傷の言葉の洪水にあった。反論でもすれば炎上したことだろう。そして今季も批判は起こる。成績いかんにかかわらず起こる。

 黙るしかない矢野にとって、唯一の反攻が「辞める」だった。監督の立場に恋々としていない姿勢を示すことだった。

 退任表明がプラスに働くかマイナスに働くか。誰にも分からない。両刃(もろは)の剣である。

 長いプロ野球の歴史で開幕前に監督が「今季限りで退任」と表明しながら優勝した例は1954(昭和29)年の中日しか知らない。当時監督の天知俊一は開幕前「ロウソクの火みたいに消えかかっているけれども、パーッと燃えて、この1年で消えて死ぬ気でやります」と宣言した。本社、球団幹部はもちろん、選手たちもいる前である。『戦後プロ野球史発掘』(恒文社)にある。

 杉下茂の活躍もあってリーグ優勝し、日本シリーズでも西鉄(現西武)を下した。日本一となりグラウンドを一周する際、天知は「バカヤロウ」と連呼し、涙を流していたそうだ。野球記者・大和球士が語っている。

 問題は一体感なのだ。フロントと監督、監督と選手。目に見えない、しかし大切な心を求め、新体制のフロントと現場がいかに心を通わせられるか。阪神は危険な船出となった。 =敬称略= (編集委員)

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2022年2月1日のニュース