藤川球児氏 暗黒時代「絵に描いたような弱小チーム」の阪神変えてくれたのは星野仙一さん

[ 2021年5月25日 06:30 ]

2003年、マウンド上で星野仙一監督(右)から激励される藤川球児
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 現役時代「火の玉」と呼ばれた直球を武器に、日米通算245セーブを挙げた元阪神の藤川球児氏(40)が、24日深夜放送の関西テレビ「こやぶるSPORTS超」(月曜深夜0・25)に出演。『今だから明かす阪神タイガースの闇』と題して、暗黒時代の弱かったころの阪神を語った。

 藤川氏は1999年にドラフト1位で阪神に入団。当時の阪神は暗黒時代などと呼ばれる低迷期で、95年から01年までは7年間で6度の最下位を経験した。藤川氏は「タイガースは当時、ずっと弱かったんです。指名されたときに、こんな弱いチームだから、すぐ(1軍で)出られると思った」と本音を告白した。だが、1999年からの3年間は1軍で未勝利。試合に出るチャンスも、なかなかなかった。裏にあったのは、厳しい上下関係や、ドラフト1位としての周囲からの妬みなど。「古い体質の球団だった。絵に描いたような弱小チーム」と評した。

 ところが、2002年に阪神監督に就任したのが、星野仙一さんだった。「星野監督が来て、思い切って、20何人のクビ切ったんですよ。こんな組織じゃダメだということで。その中に、たまたま自分は入っていなかった」。当時、“血の入れ替え”とも称された戦力外通告やトレードなどで、20人以上の選手が阪神を去った。これが転機となり、阪神は変革の時期を迎えた。

 実は藤川氏について、星野さんは中日監督時代から「このピッチャーはいい」と評していたという。ある球団関係者から「球児のことをものすごい期待している」と言われた藤川氏は「えっ? 僕ですか」と驚いたというが、「そんな見られ方する人が今までの阪神にいなかったから。だから僕が抑えをやったりとか、先発をやったりとか、チャンスを頂けた」と、しみじみ語った。

 それ以来、阪神は何度も優勝争いをするチームに変ぼう。「最近はない。素晴らしい組織で、結果で表れている」と阪神を語る藤川氏は、「矢野監督もそうですし、金本前監督も若い選手を積極的に起用したりとか、段々、若い人材が出られるようになった」と風通しの良い組織になったことを断言していた。

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2021年5月25日のニュース