「赤鬼」ブリーデンさん死去 田淵、掛布らと強力阪神打線形成 来日1年目76年に40発

[ 2021年5月12日 05:30 ]

1977年4月10日、広島戦の4回、掛布雅之(後方)の前で5号ソロを放ったブリーデン
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 阪神で強打者として活躍し、「赤鬼」の異名でファンに親しまれたハル・ブリーデンさんが3日に死去していたと地元紙オールバニ・ヘラルド(電子版)が10日までに報じた。76歳だった。死因は明らかになっていない。

 米ジョージア州オールバニ出身。珍しい左投げ右打ちの内野手でカブス、エクスポズ(現ナショナルズ)でプレーし、メジャー通算274試合、打率・243、21本塁打、76打点。32歳シーズンの1976年に阪神に入団すると、来日1年目から123試合出場、打率・261、40本塁打、92打点の好成績を残し、田淵幸一、掛布雅之、ラインバック、中村勝広らとともに強力打線を形成した。

 阪神では主に4番・田淵の後ろに控える5番打者として存在感を発揮した。76年にマークした新助っ人の40本塁打は、現在も球団最多記録として残っている。76、77年(37本)はともに巨人・王貞治に次ぐリーグ2位の本塁打を放った。また満塁本塁打4本はカークランド5本に次いでソロムコ、バースと並ぶ球団助っ人の歴代2位タイ。打席内での鬼気迫る形相から「赤鬼」の異名を取った強打者で、記録と記憶に残る豪快な助っ人だった。

 来日3年目の78年は膝の故障のため17試合出場、打率・279、2本塁打、12打点にとどまり、シーズン途中に帰国、退団。在籍3年間で通算260試合出場、打率・251、79本塁打、194打点の成績を残した。

 ◆ハル・ブリーデン 1944年6月28日生まれ、米ジョージア州出身。76年にエクスポズ(現ナショナルズ)から阪神に移籍し、打率・261、40本塁打、92打点で77年も満塁本塁打3本を含む37本塁打。78年は右膝じん帯損傷もありわずか17試合の出場でオフに退団。日本通算260試合で打率・251、79本塁打、194打点。引退後はジョージア州の郡保安官も務めた。

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2021年5月12日のニュース