アーロン氏 黒人リーグ経てデビュー 中傷の手紙捨てず反骨心に変えた

[ 2021年1月24日 05:30 ]

ハンク・アーロン氏死去

54年にニューヨークで撮影されたアーロン氏(AP)
Photo By AP

 アーロン氏は1934年に南部アラバマ州モービルで生まれ、黒人リーグを経て54年にブレーブスで大リーグデビューした。当時、米国には厳然と差別があり、白人の同僚と宿舎は別で、球場内外で日常的に嫌がらせに遭った。「(白人より)うまくなければ解雇される」と覚悟。悪意ある手紙はあえて捨てなかったように、反骨心を力に変えた。

 力強いスイングで「ハンマー」の異名を取ったが、首位打者に2度輝くほど確実性も高く、23年間でシーズン100三振以上は一度もない。本塁打重視に切り替えたのはブレーブスが本拠地をミルウォーキーからアトランタに移転した66年。高地で飛球がなかなか落ちないと気付き、その年から2年連続で本塁打王になった。

 プレーに派手さはなく「静かな英雄」とも呼ばれたが、通算2297打点は歴代1位で3771安打も3位。755本塁打は薬物疑惑が取り沙汰されたバリー・ボンズに07年に抜かれるまで33年間も通算最多記録を保持した。76年に42歳で現役を引退し、82年に米国野球殿堂入り。背番号44はブレーブスとブルワーズで永久欠番だ。
 また、90年から世界少年野球大会を開催するなど野球の普及活動の功績が称えられ、日本では15年11月に旭日小綬章が贈られた。

 《アトランタ本拠のNFL&MLS 「44」今季欠番に》ブレーブスで活躍したハンク・アーロン氏の死去を受け、同じアトランタに本拠を置くプロフットボールNFLのファルコンズ、サッカーのプロリーグMLSのユナイテッドは22日(日本時間23日)、今季はアーロン氏の背番号44を欠番にすると発表した。ファルコンズのマッケイ最高経営責任者(CEO)は「スポーツ界の象徴以上の存在だった。野球やアトランタ市の代表であり、素晴らしい人だった」と悼んだ。

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2021年1月24日のニュース