「新庄はフェリーに飛び乗り、大河内志保のもとへ」 亀山つとむ氏がたどる混乱と不安「1・17」の記憶

[ 2021年1月17日 07:45 ]

1995年1月13日、鳴門大橋を背に自主トレを開始した新庄(左)と亀山。この4日後に、激震が走る
Photo By スポニチ

 あの時、「亀・新」コンビは――。本紙評論家・亀山つとむ氏(51)が、阪神・淡路大震災が発生した26年前の「1・17」に思いをはせた。当時は震源地に近い徳島県鳴門市内で新庄剛志氏(48)と合同自主トレ中。混乱と不安に包まれた記憶の糸をたぐった。

 あの時、亀山氏は、震源地近くで新庄氏と合同で自主トレをしていた。かつて感じたことがなかった地震。混乱と不安の中で「僕らが頑張ることで、みんなを元気にしなければいけない」と誓い合った経験を振り返った。

 自主トレの場に選んだのは徳島県鳴門市だった。足腰を鍛えるためのゴルフ場、陸上競技場、ジムやバッティングセンターと施設がそろっているため、亀山氏が新庄氏らを誘い、計4人で震災4日前、1月13日からトレーニングを開始していた。

 「亀・新」コンビでブレークした92年から4年目で気合十分。自主トレ初日に「厳しく取り組む。一日中、体を動かすつもり」と亀山氏が言えば、新庄氏も「これまでの自分はバッティングじゃなかった。ただ打っているだけ。でも今年から違うものを出していく」と決意を語っていた。

 だが「1・17」ですべてが変わった。激しい揺れで跳び起きると「海辺なので津波の可能性もある」と宿舎から伝えられ、4人で車に乗り、高台に移動した。ラジオなどで刻々と伝わる被害状況。「とにかく戻ります」といち早く行動したのは新庄氏だったという。

 「結婚する前だったけど、もう(大河内)志保ちゃんと一緒に住んでいましたからね。西宮にいた彼女と連絡が取れないから、慌てて帰って行った。運行ストップ寸前のフェリーに飛び乗れたみたい。後で聞いたら、彼女はタンスの下敷きになっていたらしい」

 亀山氏は家族の安全が確認できたため、フェリーが復旧するまで鳴門に滞在。食料や水を調達した上で帰阪した。「やはりショックが大きかったんだと思う。震災に関しては細かい記憶が飛んでいる。部分部分では覚えているんだけど」と阪神球団への安否連絡なども、いつ誰がしたのかも分からないという。

 亀山氏は2年後の97年オフに引退。新庄氏は5年後の00年オフにメッツ移籍を決断した。「昨年の新庄の挑戦も注目していた。年齢を考えると、よくやったと思います」と亀山氏。中断した幻の自主トレが、2人の野球人生の分岐点にもなっていた。 (鈴木 光)

続きを表示

この記事のフォト

「始球式」特集記事

「田中将大」特集記事

2021年1月17日のニュース