田淵氏が明かす星野仙一さん秘話 入院中に同じ病院内でお見舞い 「弱い星野を見せなかった」

[ 2021年1月4日 09:00 ]

03年に阪神を優勝に導いた楽天・星野副会長(左)と田淵氏(2016年撮影)

 阪神を指揮し2003年のリーグ優勝に導いた星野仙一氏が18年1月4日に膵臓(すいぞう)がんで死去してから、ちょうど3年が経つ。大学時代からの親友で阪神、楽天、日本代表では“参謀”として支えた田淵幸一氏(本紙評論家)が闘将たるエピソードを明かした。

 今でもよく夢を見るんだよ。2人でキャッチボールしてるんだ(笑い)。「監督~、全然、ボールがきてないよ~って」。東京六大学のときから親友でありライバルでもあったんだけど、阪神の監督とコーチになって以降は監督と呼び“仙ちゃん”と呼ぶのをやめたのよ。

 互いに、互いの人生のほとんどを見てきて、知っている。“三重人格者”だったね。いろいろな顔を持っていた。阪神監督就任時の久万オーナーにも、読売のナベツネさん(渡辺恒雄、現読売新聞グループ本社代表取締役主筆)にも気後れすることなく意見していた。かと思えば18歳のルーキーにも目を見張らせていたし、選手の家族にも気配りしていた。すごい男だった。

 最後まで「星野仙一」のままで、カッコつけていたね。亡くなる3日前の元日に電話で話したんだけど、普通だった。いや普通を装っていたんだろうね。親族以外には1年半も病のことを伏せていたのもそう。私にすら「弱い星野」を見せなかった。17年夏に私が大動脈瘤の手術をした際に見舞い、励ましてくれたんだよ。「なに情けない顔をしてんだよ!それしきのことで」って…。ええヤツだなあと思っていたら、後から聞いたんだけど膵(すい)臓がんで先に同じ病院に入院していたっていうんだよ。そんなこといっさい言わずに、ビシッと着替えて私のところにきて、また同じ病院内の自分の部屋に戻っていったっていうんだから、まいったね、ホントに…。

 天国から、今の矢野監督に言いたいことはおそろく「非情にならなアカンときは必ずある」ってことだろうね。ベテラン選手や外国人選手に2軍降格を告げるとき、それ以上に戦力外を通告しないといけないとき。どう伝えるか、どうフォローするかは大事だけど、チーム再建のためなら、それがプロ野球の監督の仕事だってことだよね。

 きちんと畑を耕して、種をまいて、水をやって、育てる。当たり前のこの手順をきっちりとやってきたのが、星野監督だった。畑を耕す部分は1999年からの野村克也さんの3年間だったかもしれないが、おだてながら水をやり、怒りながら育てた。星野仙一みたいな、熱くて、愛情をもって選手を育て、根気よくチームをつくり上げる男が今の時代にも出てきてほしいね。

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2021年1月4日のニュース