【阪神新人連載】佐藤蓮 活発だった“ビッグベイビー” おやつは丼茶わんいっぱいの白米

[ 2020年12月17日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 3位・佐藤蓮投手(上)

保育園時代の佐藤蓮(家族提供)
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 1メートル88、101キロの巨漢から投げ下ろす最速155キロの直球を最大の武器にドラフト3位指名を勝ち取った蓮。高校時代から“ビッグベイビー”と呼ばれていたが、実は出生時から愛称通りのスケールの大きさを誇っていた。

 母・智恵子さん(51)は「生まれたときから大きかったです」と懐かしげに話す。静岡県内の病院で身長56センチ、体重3840グラムで誕生。1998年生まれの平均は49・3センチ、3090グラムで「病院の先生にも『かなりの人数を見てきたけど、こんなでかい子は初めて』って言われました」。幼少期から活発で、出かけた際にはすぐにどこかに行ってしまうような子だったという。「ディズニーランドに家族で行ったときも入場してすぐいなくなったりして。見つけやすいように派手な色の服を着せてました。体が大きかったので探しやすかったのはありますね(笑い)」

 大きな体に比例するように大食漢。小学時は、おやつとして兄とともに丼茶わんいっぱいの白米を食べるのが日課だった。「実質一日4食でしたね。大きくなったのはよく食べてよく寝てよく運動したからだと思います」(智恵子さん)。小学校卒業時には身長が1メートル70を超えており、ランドセルが背負えず肩に掛けて登校していたのを見かねた当時の校長がナップサックでの登校を許可したという逸話も残る。

 そんな蓮の白球との出合いは祖父がきっかけだった。巨人ファンだった祖父に連れられ低学年時に東京ドームへ観戦に訪れたことで野球への興味が湧いた。祖父とのキャッチボールで腕を磨き、通っていた水泳教室で最上級クラスの課題をクリアしたこともあり4年時に「長伏ヴィーナス」で本格的に野球を始めた。阿部慎之助(現巨人2軍監督)に憧れを抱き、捕手として頭角を現した。

 中学時代は「三島シニア」に所属し2年から投手に転向。恵まれた体格から最速136キロを計測するなどし、3年時には静岡選抜やU15日本代表に選出されるなど順調な歩みを見せた。そんな蓮に中学1年から注目していたのが飛龍高で監督を務めていた浜野洋氏(現浜松開誠館野球部長)。浜野氏との出会いが、蓮の野球人生の中で大きなターニングポイントとなった。 (阪井 日向)

 ◆佐藤 蓮(さとう・れん)1998年(平10)4月11日生まれ、静岡県出身の22歳。長伏小4年から長伏ヴィーナスで野球を始める。中郷西中時代は三島シニアに所属し2年から投手。飛龍では甲子園出場なし。上武大では1年冬に右肘手術などあり4年秋にリーグ戦デビュー。8試合登板で0勝0敗、防御率1・50。1メートル88、101キロ。右投げ右打ち。

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