広島 球団初の新人王は82年の津田恒美氏 入団会見で「狙います」と宣言していた

[ 2020年12月17日 19:12 ]

1981年12月2日の入団発表で、赤ヘルのユニホームを着て「新人王を狙いたい」とキッパリ宣言した津田投手(左)。古葉竹識監督の激励にさわやかな笑顔をみせる
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 プロ野球の年間表彰式「NPB AWARDS 2020 supported by リポビタンD」が17日に都内で開かれ、セ・リーグの最優秀新人賞に広島の森下暢仁投手(23)が選出された。広島の同賞受賞は、14年の大瀬良大地投手以来、10人目となった。

 栄えある球団初の新人王が誕生したのは1982年のこと。ドラマはその1年前にさかのぼる。81年12月2日、入団会見に臨んだのが津田恒美氏だった。広島は津田氏が南陽工を卒業した3年前にも入団を誘っていたが、その際は協和発酵への入社が決まっており、3年越しのラブコールを受けて、ようやく入団。例年なら、入団発表はドラフト選手全員の入団決定を待って一括で行うが、その年はあえて単独で行う期待度の高さだった。

 当時、新人王を輩出したことがなかった広島だけに、入団会見でもその話題に。そこで津田氏は「新人王はもらった」とキッパリ宣言している。同席した古葉竹識監督は「今季の巨人が原の加入で盛り上がったように、津田の加入はチームにとって大きな刺激材料。いつも通りのものが発揮できれば、新人王の可能性は十分ある」と期待した。津田氏も「自信はある。まず1勝、それも日本一の巨人から取ることが目標。もちろん、新人王も狙います」と呼応した。

 果たして有言実行。1年目の82年は、主に先発投手として31試合に登板し、11勝6敗、防御率3.88で見事に新人王に選出された。その後、血行障害などを乗り越え、救援投手に転向し「炎のストッパー」とも称されたが、脳腫瘍を患い、91年限りで現役引退。93年に32歳という若さでこの世を去った。

 津田氏から数えて森下で球団10人目の栄冠。即戦力右腕として入団した森下も、有言実行で新人王を獲得するなど、歴代の先輩に負けない活躍ぶりだった。森下は球団を通じ「このような状況で1年目から野球ができ、新人王を獲ることができて、すごくうれしく思っています。今年は良いシーズンを送ることができたので、来年はもっと良いシーズンになるよう、そして皆さんの期待に応えられるように頑張りたいと思います」と談話を発表した。

【広島の歴代新人王】
82年 津田恒美
84年 小早川毅彦
85年 川端順
86年 長冨浩志
95年 山内泰幸
97年 沢崎俊和
06年 梵英心
12年 野村祐輔
14年 大瀬良大地

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2020年12月17日のニュース