原巨人特別な連覇!史上初ドローV マスク&手袋で“ソーシャルディスタンス胴上げ”

[ 2020年10月31日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人3-3ヤクルト ( 2020年10月30日    東京D )

<巨・ヤ>胴上げされる原監督(撮影・篠原岳夫)
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 マジック1としていた巨人は30日、延長10回の末、ヤクルトと3―3で引き分け、2位・阪神がDeNAと引き分けたため、2年連続38度目(1リーグ時代を含め47度目)の優勝を決めた。引き分けVは球団史上初。原辰徳監督(62)は歴代3位タイの9度目のリーグ制覇となった。セ・リーグはクライマックスシリーズ(CS)がなく、11月21日から始まる日本シリーズではCSを勝ち抜いたパの球団と対戦し、12年以来8年ぶりの日本一奪回を目指す。

 鉄仮面がマスクと共に外れた。直前までは唯一見えていた目が、どれほど苦悩を物語ったか。無人の荒野を突っ走ったが、最後は足踏みが続いた。原監督の顔は笑っていた。

 密集にゆっくり歩を進める。マスク、手袋を着用した裏方の同志が背中を持ち上げる。周囲の選手の掛け声に合わせ9度舞った。自身の優勝回数である。

 「格別ですね。険しい道のりだった。今年の優勝はひとしおでございます。ここ数試合はシーズンの難しさを象徴していたと思う」

 ジョン・F・ケネディ大統領が「キューバ危機」に直面した1962年。同国に核兵器を配備したソ連との核戦争が寸前まで迫った。原監督は冷戦下当時の肖像画を自宅に飾る。「自分が指導をする上で凄く勇気をもらっている絵」。長女・キャロライン氏の駐日米国大使在任中、白いペンでサインを添えてもらった。「HARA SAN。父を敬愛するあなたを私は尊敬する」という内容が丁寧な英語で書かれている。

 第3次世界大戦の危機に立ち向かい、英断で回避した米国史上最年少の大統領。「悲しげな表情に将来の不安と希望が入り交じる」と目に映る。2次政権時は監督室に飾って采配や選手起用に悩むと見つめて考えたが、現在は自宅にある。昨年の復帰時に「今回は持ってきていないんだよね」と原点に返った。

 今季開幕前。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、スポーツ界が軒並み停滞した。自宅で過ごした自粛期間中、道しるべを示したのは46歳で暗殺される英雄的指導者だった。「コロナ禍で変わることができるのが良い指導者」。まず自身が動き、プロ野球開催のため「新基準」をつくることを決意した。

 開幕の見通しが立たなかった5月8日。まだ一般的でなかった抗体検査を知人医師の都内病院で個人的に受けた。その足で大手町の球団事務所を訪問し、山口寿一オーナーに検査経験を報告。「プロ野球は信頼から入る必要があります」とチーム総勢220人の実施を願い出た。今村司社長を通じ、NPB全体のPCR検査の実施も求めた。自身は現在もカバンに市販の抗体検査キットを2、3個入れて持ち歩いている。

 シーズンは「新様式」で戦った。超過密日程の中、出番を終えた主力は試合終了を待たず、自宅や宿舎に帰した。大量リード時は中盤から坂本、丸らを下げたのは「全体のチーム力が上がってきたからできた」。翌日のスタメンは1軍のグループLINEで前夜に伝え、移動日の全体練習もやめた。中継ぎを休ませるため野手の増田大を登板させたのも、批判覚悟の上だった。

 選手一人一人と抱擁を交わした。「良いコンディションをつくりながら戦ってきた野球選手が非常に誇らしい」と思うからだ。監督室には支配下全選手の名札がかけられている。69人中54人を1軍に呼び、若い選手が次々台頭していった。自身は長嶋茂雄、川上哲治の監督通算勝利数を超えて球団最多に立った。

 右翼で開幕時姿のなかったファンと万歳三唱し、ペナントを手に場内を一周した。5連敗後、引き分けでのリーグ連覇。「昨年の悔しさは忘れていない。高みは見えてきた。正々堂々と戦って日本一になる」。昨季、ソフトバンクに4連敗を喫した屈辱を晴らすため、日本一へ向けた足場を組み直す1カ月が始まる。(神田 佑)

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