天理の前監督 橋本武徳氏死去 甲子園通算20勝、夏2度全国制覇の名将

[ 2020年10月11日 05:30 ]

天理の監督として夏の甲子園大会2度の優勝に導いた橋本武徳氏
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 天理高(奈良)の監督として夏の甲子園大会2度の優勝に導いた橋本武徳(はしもと・たけのり)氏が9日午前9時57分、下行結腸がんのため奈良県天理市の自宅で死去した。75歳。天理市出身。通夜は12日午後6時半、告別式は13日午前11時からいずれも天理市布留町1の3、天理教第12母屋で。喪主は長男成年(なりとし)氏。

 橋本氏は天理高3年時の62年夏の甲子園に外野手として出場。82年春に母校監督に就任すると、86年夏に本橋雅央投手を擁し、奈良県勢初の全国制覇を成し遂げた。大会後に退任。90年春に再び監督に就任し、同年夏の甲子園ではエース南竜次投手の活躍などで2度目の優勝を果たした。11年秋から三たび指揮を執り、15年春夏連続出場を最後に勇退するまで甲子園通算20勝を挙げた。

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