阪神・高橋聡 “まだやれる”思いよりファンへのあいさつ選んだ仕事人

[ 2019年12月7日 08:30 ]

決断2019 ユニホームを脱いだ男たち(7)

引退登板を終え、中日・大野雄から花束を受け取る高橋聡

 運命のいたずらだった。最終戦が中日戦ではなかったら…。先発することなく、中継ぎ一筋18年。阪神・高橋聡にプロ人生に幕を下ろすことを決めさせたのは、長く支えてくれた人たちへの思いだった。

 9月に入っても1軍に呼ばれる気配はなく、球団から来季の話もない。今年の球では1軍で通用しないことも、530試合以上投げてきた左腕が一番分かっていた。来年5月で37歳になるが、この時点で現役引退の選択肢はなかった。

 「やりたい気持ちしかなかった。正直、阪神はクビを覚悟していたし、すぐに獲ってくれるところはないだろうと。でも、1年間かけて体を戻して、来年のトライアウトを受けようと本気で考えていたんです」

 何度もケガを克服してきたからこそ“まだやれる”という自信があった。年齢的にも、ブランクを経ての復帰は難しいと百も承知。それでも引退を表明して道を閉ざす必要はあるのか――。気持ちを変えたのは、阪神、そして古巣・中日ファンの存在だった。

 「9月末に球団から連絡があり、今季最後の2試合(9月29、30日)が中日戦だから、そこで引退セレモニーを用意すると言われた。自分では今年が無理でも来年再チャレンジする気でいた。でも、それではファンの方にあいさつできないまま終わるかもしれない」

 福井県の実家は老舗の和菓子店。「商売人の家に生まれたんで、お客さんのありがたみは凄く分かるので」。若手時代から見てくれている中日ファンには、強い思い入れがあった。覚悟を決めて球団の提案を受け入れ、9月30日の7回に引退登板。福田との真剣勝負で三ゴロに打ち取り、両軍ファンから万雷の拍手を浴びた。

 投げる姿より、言葉で感謝を伝えたかった。心残りはあったが、当日は福井から両親、さらには名古屋から中日の山井、吉見、浅尾コーチらも駆けつけてくれた。「いろんな人との出会いでここまでやってこられた」。次の道はまだ決まっていない。派手さのない持ち場でも一球入魂を体現してきた「仕事人」が、甲子園のスポットライトの中でグラブを置いた。 (山添 晴治)

 ◆高橋 聡文(たかはし・あきふみ)1983年(昭58)5月29日生まれ、福井県出身の36歳。高岡第一から01年ドラフト8巡目で中日入団。04年4月13日の巨人戦で中継ぎとしてプロ初登板。13年7月9日の阪神戦では史上16人目の1イニング4奪三振を記録した。15年オフに阪神にFA移籍。今季は1軍登板なく、ウエスタン・リーグで16試合に登板し、1勝1敗、防御率6・60。1メートル76、87キロ。左投げ左打ち。

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2019年12月7日のニュース