阪神ドラ3及川 評価のギャップ乗り越えたどり着いた15歳の選択

[ 2019年12月7日 09:17 ]

虎ルーキーの素顔に迫る 最高峰の舞台にトライ ドラフト3位・及川雅貴(2)

匝瑳リトルシニア時代の及川
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 中学時代の監督・越川康弘さん(42)が振り返ったように、匝瑳リトルシニアでは秀でた成績を残していない。むしろ目立っていたのは打撃で「将来はバッターでも良いかな」(越川監督)と言うほど。ボールのキレやスピードは他を圧倒していたものの、不安定な投球が多かった。

 事実、U―15日本代表も、当初は選考トライアウトすら受ける予定が無かったという。チーム関係者の「経験だけでもプラスになるから受けてみないか」との薦めで受けただけ。「まさかです。自分はそこまでのピッチャーじゃないと思っていたので、選ばれてビックリしました」と振り返るように予想外の結果だった。同地区で活動するシニアリーグのチームからも「及川が日本代表?」という驚きの声が上がったという。そんな状況だから、高校進学の際、越川監督は「時間はかかると思う。長い目で見ていただければ」と横浜側に伝えていた。雅貴の自己評価と、知る人の評価に対し、世間の評価が上がっていくギャップに驚く時期だった。

 ただ、当時からポテンシャルが高かったことは疑いようのない事実。その点で順調に成長できたのは、チームの「大きく育てる」方針だった。「うちは田舎のチームですから。押しつけるのではなく“いろんな話を聞いたり勉強したりして自分が良いと思ったものをチョイスしなさい”と言っていました」(越川監督)。細かな制球力や投球術はこれからいくらでも学ぶことができる。体ができあがっていない時期に可能性を制限してしまわないよう、能動的に学び、実践する習慣を付けてもらった。そんな越川監督の元には、プロ入りが決まった今でも、1カ月に2回の頻度で顔を出すなど親交は続いている。 

 「プロ野球選手を目指したいですし、甲子園に出て、全国制覇がしたいという目標を持っていたので。それを達成できる可能性が一番高いのが横浜高校なのかなと思って、進学しました」

 そんな恩師の元から巣立ち、雅貴は、名門の扉を開いた。
 (巻木 周平)

 ◆及川 雅貴(およかわ・まさき)2001年(平13)4月18日生まれ、千葉県匝瑳市出身の18歳。須賀小1年から野球を始め6年時に千葉ロッテジュニアに選出。八日市場二中では匝瑳リトルシニアに所属し3年時にU15侍ジャパン代表入り。横浜高では1年春からベンチ入りし2年秋からエース。1、2年夏、3年春と3度甲子園出場。1メートル83、74キロ。左投げ左打ち。

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