【内田雅也の追球】苦しい? いや幸せだ!――阪神、野球ができる平和をかみしめる勝利

[ 2019年8月15日 08:00 ]

セ・リーグ   阪神6-3中日 ( 2019年8月14日    ナゴヤD )

ナゴヤドーム1番ゲート横に掲げられた戦没者鎮魂と平和を祈る銘板
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 ナゴヤドームの1番ゲート横に「平和の礎となられた人を忘れません」と刻まれた銘板がある。「この地で起こった出来事を知っていただき、平和への思いを強くしてもらいたい」と2004年4月に設けられた。

 戦時中、ここに軍用工場があった。三菱重工業名古屋発動機製作所大幸工場。戦闘機などのエンジンを製造していた。

 米軍の攻撃目標とされた。1944(昭和19)年12月13日、B29爆撃機70機による空襲を受けた。工場で働く挺身(ていしん)隊の女性、学徒動員の生徒ら約300人が命を落とした。

 銘板には「平和への礎となられた人々を決して忘れず、野球やコンサートなどを通して感動を味わえることに深く感謝し、ここにご冥福をお祈りいたします」とある。

 監督・宮崎駿の映画『風立ちぬ』(2013年、スタジオジブリ)で主人公の零戦設計者、堀越二郎が働く工場はこの地ではないだろうか。工員たちが息抜きにキャッチボールする光景も描かれていた。

 二郎は結核を患う恋人、菜穂子に語りかける。

 「僕らは今、一日一日をとても大切に生きているんだよ」

 「生きているって、すてきですね」

 澄んだ青空が目に、荒井由実の『ひこうき雲』が耳に、強く潔い生き方が心に、残る。

 「戦争中の人々を思うことがあります」と言う阪神監督・矢野燿大から、陸軍中尉(戦死で少佐に特進)・藤井一(はじめ)の悲話を聞いた。

 特攻隊を志願したが、操縦士ではなく、妻子がいることを理由に許可されなかった。妻は何度も志願をやめるよう説得したが、夫は受けいれなかった。ついに、妻は「私たちがいては後顧の憂いになる。一足お先に逝って待っています」と遺書を残し、2歳と生後4カ月、幼い娘2人を連れ、川に身を投げた。夫は入隊を果たし、終戦3カ月前、沖縄洋上に散った――という話である。矢野は何かで読んだらしい。

 「確かにシーズンを戦っていれば苦しい時もあります。しかし、あの時代に比べれば、なんでもない。こんな平和な世の中で、好きな野球ができている。それだけで十分幸せじゃないか!って」

 なるほど、だから矢野は前を向いていられるのか。選手たちもならっている。

 この夜も苦しい試合展開だった。先制され、4回までゼロ行進。だが、5回表2死、先発投手・秋山拓巳に送った代打・木浪聖也から6連続長短打で逆転してみせた。選手たちは今の幸せを喜ぶかのようにダイヤモンドを駆け回った。

 15日、終戦の日。幸せをかみしめ、再スタートを誓う日でありたい。=敬称略=(編集委員)

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2019年8月15日のニュース