内田雅也が行く 猛虎の地<24>甲陽園「播半」

[ 2018年12月27日 08:00 ]

「タタミ・パーティー」の交流

甲陽園の跡地近くに移築された「播半」の門
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 谷崎潤一郎の小説『細雪』に蒔岡家四姉妹の長女・鶴子の性分を<大阪ほどよい土地はないという風に考え>として<芝居は鴈治郎、料理は播半かつるや>とある。

 「播半」(はりはん)は老舗の料亭旅館だった。播磨出身の平山半兵衛が1878(明治12)年、大阪・心斎橋で創業した。1927(昭和2)年に営業を開始した西宮・甲陽園の店は、山や川など自然豊かな1万坪(3万3000平方メートル)の敷地に木造建築の粋をこらした山荘形式で、四季の自然を味わえた。

 この播半で阪神は大きな宴会を開いている。1962(昭和37)年11月3日だった。毎日新聞社主催の日米野球で来日した大リーグ、デトロイト・タイガースを招いた歓迎夕食会だった。

 当日は朝から雨で、甲子園球場での阪神戦が中止となり、球団関係者や監督ボブ・シェフィング以下選手、夫人一行を招待。阪神からはオーナー(電鉄本社社長)・野田誠三、球団代表・戸沢一隆、監督・藤本定義、コーチ・青田昇、選手代表として吉田義男、小山正明、村山実、マイケル・ソロムコが参加した。

 午後6時から2時間あまりの宴だった。選手たちは「足が痛い」と言いながら、珍しい「タタミ・パーティー」に満足だった。京都・祇園、大阪・北新地、神戸・花隈から芸者や舞妓(まいこ)を呼んだ。三階節を舞い、野球拳に興じた。

 同年ア・リーグ首位打者のノーム・キャッシュは「各地を回ったが、ここが最高だ。ゲイシャ・ガールが一番印象に残る。美しい女性がそろって、楽しい雰囲気だ」と言うと、隣の夫人がにらみつけた、と当時のスポニチ本紙にある。後に野球殿堂入りする強打者アル・ケーラインは「天ぷらはいくらでも食べられる」と話した。夫人には茶羽織が贈られた。

 この席上、デトロイト側から驚きの提案があった。オーナー、ジョン・フェッチャーから「来年のフロリダキャンプに阪神タイガースをゲストとして招きたい」と明らかにしたのだ。播半招待への返礼だった。

 野田が会食・会談の最中に「アメリカでキャンプをやってみたい」と話すと「ぜひ招きたい」と提案があった。フェッチャーは「儀礼的ではなく、本当に招きたいと思って話した」と言った。

 阪神として初の海外キャンプとなるフロリダ州レイクランド「タイガータウン」での合同練習は翌63年2月9日から2週間行われた。この件は8年前の当欄で書いた。

 62年は2リーグ制となり、初のリーグ優勝を果たしていた。吉田は播半への招待を「当時のタイガースは粋なことをしました」と懐かしむ。

 その播半はもうない。不況のあおりを受け2005年、惜しまれつつ廃業。跡地の近くには当時の門や塀、赤蔵が残されていた。=敬称略=(編集委員)

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