【決断】ロッテ古谷、営業職から第2の人生…チームに球界に新風を

[ 2017年12月2日 10:30 ]

13年6月26日のオリックス戦、9回2死まで無安打無得点でプロ初完封勝利を挙げ伊東監督(左)に祝福される古谷
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 10月3日。ロッテから戦力外通告を受けた古谷は同時に、球団職員としての誘いを受けた。現役の道を模索するか、次のステージに進むのか、約1カ月悩んだ。「選手でなくなるのは、誰もがあること。いい年だし、今年は成績も伴っていなかった。悔いが残らないわけではないが、自分なりに一生懸命やってきたつもりでしたから」。出した答えは、引退だった。

 チームスタッフではない。営業職として、来年1月からスーツ姿でほかの職員たちと机を並べて業務を行う。球団では近年なかった形だが、それも「現場ではなく、違った角度からチームや球界を見られる。チャレンジです」と魅力的に映った。現役時代から「野球をやっているだけでは駄目。人としての土台があって、さらに野球選手としてのスキルがあるのが理想」と、一社会人としての振る舞いを大事にしてきた古谷らしい選択だ。実直な人柄と、真摯(しんし)に野球に取り組んできた姿勢を誰もが見てきた。林信平球団本部長も「選手を職員にするケースはあまりなかったが、古谷なら大丈夫」と話した。

 24歳でプロの世界に飛び込み、12年間の現役生活だった。プロ5年目には中継ぎとして58試合登板も果たしたが、先発に転向した13年シーズンが一番の思い出だ。この年1軍初登板だった6月26日のオリックス戦では9回2死まで無安打無得点の快挙を達成しても「一発勝負のつもりで臨んで、結果的にいい投球ができた」と謙虚さは変わらない。自身最多の9勝を挙げ「少しはお世話になった人に恩返しできたのかな」と周囲への感謝の思いが口をついた。

 現役時代から毎日、日経新聞に目を通し、現在はビジネス書を読むことも増えた。今はさまざまなジャンルの人に会い、話を聞くことで見識を広げる日々を送る。「グローバルな視野を持ってやっていきたいんです」と思い描く。「プロ野球選手」だったからこそ、きっと新しい風を吹き込むことができるはずだ。

 「まずは目の前の仕事をしっかりすることですが、これまでの経験を生かして、チームを良くしたい。それが球界全体、日本全体につながればいいし、みんなにとって幸せな方向になればいいですね」。球界きっての宇宙好きで知られる古谷の次なる夢は無限に広がっている。(町田 利衣)

 ◆古谷 拓哉(ふるや・たくや)1981年(昭56)7月14日、北海道北見市生まれの36歳。小学3年から東相内ヤンチャーズで野球を始め、駒大岩見沢では98年夏、99年春と甲子園に出場。駒大から日本通運に入社し、05年都市対抗は準々決勝敗退。05年の大学・社会人ドラフト5巡目でロッテに入団した。1メートル80、74キロ。左投げ左打ち。

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