DeNA新監督、OBのローズ氏が最有力 98年Vメンバー

[ 2015年10月8日 06:30 ]

DeNA新監督最有力となったローズ氏

 DeNAが来季監督として球団OBで1998年の日本一に貢献したロバート・ローズ氏(48)を有力候補にリストアップしていることが7日、分かった。現在は大リーグのレンジャーズ1Aで打撃中心のコーチを務める同氏は、現役時代にDeNAの前身である横浜で打点王に2度、首位打者に1度輝くなど強打者として活躍。日本野球にも精通しており、今季限りで退任する中畑清監督(61)の後任として今季最下位に終わったチームを立て直す。

 横浜市内の球団事務所。高田繁ゼネラルマネジャー(GM)と午前中に約1時間、監督人事について意見交換をした池田球団社長は後任候補について報道陣から質問が及ぶと、言葉を選んで慎重に答えた。

 「横浜に縁があるということが優先順位が高くなった。(指導歴は)ないより、あったほうがいいですね。今までのチームづくりを継承して来年勝負できる人。GM制を含めて理解があればいい。相手があること。いろんなシチュエーションを考えています」

 池田球団社長、高田GMの話を総合すると、中畑監督が就任4年間で築いたものをベースに、勝てる指導者として10人前後の後任候補をリストアップ。具体的な名前の言及は避けたが、評価が高いのが「球団史上最強の助っ人」として知られたローズ氏だ。

 「ボビー」の愛称で親しまれたローズ氏は93~00年まで横浜(現DeNA)に在籍し、その8年間で通算打率・325、167本塁打、808打点をマーク。来日1年目の93年に打点王を獲得し、96年からは「マシンガン打線」で不動の4番を担った。98年にチーム38年ぶりの日本一に貢献し、翌99年も打率・369、153打点で2冠を獲得。来日当初は打撃の評価が低く、推定年俸35万ドル(当時3500万円)という格安助っ人だったが、球界屈指の強打者として日本で成功を収めた。

 性格も真面目で人望も厚かった。頭脳明晰(めいせき)で相手の配球を研究するなど、野球に対して一切妥協をしなかった。練習前にウエートトレーニングを黙々とこなす姿に、当時同僚だった谷繁(現中日兼任監督)も影響を受けて導入していた。米国に帰国してからも「横浜愛」の強さは変わらない。13年からレンジャーズ1Aのコーチを務めているが、背番号は横浜で背負っていた「23」。DeNAの結果も定期的にチェックし、「横浜で指導者をやって恩返しをしたい」と親しい関係者に漏らしている。監督要請を受ければ、受諾する可能性は極めて高い。

 DeNAが新規参入初年度の12年4月3日の中日戦(横浜)では始球式に登場し、同じく球団OBの佐々木主浩氏と対決。現在はチャンステーマに使われている当時の応援歌が流れ、スタンドから大歓声が上がった。現役引退後もファンの人気は根強い。池田球団社長は「まだどうなるか分からない。優先順位も1日ずつ変わると思う」と慎重に話したが、ローズ氏にチーム再建を託す可能性は高い。

 ◆ロバート・ローズ 1967年3月15日生まれ、米カリフォルニア州出身。48歳。サンディマス高から85年ドラフト5巡目でエンゼルス入団。メジャー通算73試合で打率・245、5本塁打、23打点。93年に横浜(現DeNA)に入団。同年に打点王、99年に首位打者、打点王などのタイトルを獲得。ベストナイン6度。99年7月22日のヤクルト戦(横浜)では1試合10打点のセ・リーグタイ記録。サイクル安打も史上最多の3度マークした。横浜での通算成績は1039試合で打率・325、167本塁打、808打点、16盗塁。03年にロッテ入団も春季キャンプ中に退団。

 ◆98年横浜V時のローズ 来日6年目で開幕から4番を打ち、チームは6月20日から首位を快走。ローズは7月11日の中日戦(釧路)から14日の巨人戦(横浜)にかけて3試合連発で4本塁打を放った。同19日の広島戦(横浜)では黒田から通算100号アーチ。勝負どころの9月に打率・369、3試合連発弾を含む4本塁打、18打点で月間MVPに輝いた。38年ぶりリーグ優勝決定は10月8日の阪神戦(甲子園)。ローズは初回に先制二塁打を放った。

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