CS逃した広島に配慮…山本昌 ブルペン胴上げ「重いと言われた」

[ 2015年10月8日 05:30 ]

<広・中>現役最後の登板を終えた山本昌は涙を流しマウンドに別れ

セ・リーグ 中日3-0広島

(10月7日 マツダ)
 今季限りでの現役引退を表明した中日の山本昌投手(50)が7日、広島との最終戦に50歳1カ月26日で先発し、プロ野球史上初の50代での登板と出場を果たした。数々の最年長記録を残したレジェンド左腕は男泣きで32年間の現役生活に終止符を打った。セ・リーグはこの日で全日程が終了。勝てば阪神を抜いて3位に浮上した広島は中4日で先発した前田健太投手(27)が7回無失点と好投するも中日に敗れ、阪神のクライマックスシリーズ(CS)進出が決まった。

 敵地のスタンドから、夢のような大歓声が耳に届く。新井から花束を受け取ると、もう我慢できなかった。ベンチに歩み始めた山本昌の目から涙があふれ出る。うつむき、手で顔をぬぐいながら、50歳左腕は子供のように泣きじゃくった。

 「泣かないと思っていたけど、ファンの声援を聞いて…。最後は自分も真剣勝負ができた。丸選手も真剣勝負をしてくれてうれしかった」

 世界中の誰よりも長かった32年間のプロ野球人生が、終幕を迎えた。ラスト先発は打者1人限定。代名詞ともいえるスクリューボールを3球続けて投じ、2ボールからの117キロで丸を二ゴロに仕留めた。本来の切れ味にはほど遠い。それでも万感の思いが詰まった「宝刀」で、最後のアウトをつかみ取った。

 「やっぱり緊張した。最後は“四球は嫌”“打たれたくない”と欲が出た。1人なんで壊れてもいいや、と思った」

 今季初登板の8月9日ヤクルト戦(ナゴヤドーム)で左手人さし指を自身の体に当てて突き指。じん帯を痛め、わずか22球で降板した。信じられないアクシデントに「32年間で最も悔しい出来事」と唇をかんだ。それでも「往生際の悪さでは負けない」と自負する大ベテランは、最終戦でマウンドに帰ってきた。

 鳴り物入りで入団したわけではない。剛速球もなければ器用でもない。原動力となったのは「野球が好き」という真摯(しんし)な思いだった。

 「小学3年生で始めてから、野球をやめたいと思ったことは一度もない。やめるという選択肢は今回が初めて。幸せなのは、小さい頃から50歳になるまで同じ気持ちで野球ができたこと」

 試合後には相手に配慮し、ブルペンで「非公開胴上げ」。背番号34の3と4を足して7度、宙を舞った。「みんなに重いと言われた。減量しておけば良かった」。そして続けた。「世界一幸せな野球人生」と――。前人未到の、1度きりの50歳登板を果たして、球界のレジェンドは静かにグラブを置いた。数々の記録と記憶。その雄姿は、ファンの脳裏に永遠に刻み込まれる。 (山添 晴治)

 ◆山本昌(やまもと・まさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日生まれ、神奈川県茅ケ崎市出身の50歳。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。93年に最多勝と最優秀防御率を獲得し、94年は19勝で2年連続最多勝となり、沢村賞にも輝いた。06年9月16日阪神戦ではプロ野球最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン達成。08年8月4日巨人戦で通算200勝。49歳0カ月で先発した14年9月5日阪神戦でプロ野球最年長勝利記録を樹立。1メートル86、87キロ。左投げ左打ち。

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