多摩川グラウンドに長嶋さん 15年ぶり聖地に感激

[ 2013年5月10日 06:00 ]

旧多摩川グラウンドに姿を見せた長嶋茂雄終身名誉監督(中央)は張本勲氏(右端)らと笑顔であいさつをかわす

 ミスターが多摩川に帰ってきた。国民栄誉賞を受賞した巨人・長嶋茂雄終身名誉監督(77)が9日、東京都大田区の旧巨人軍多摩川グラウンドを訪れた。1日限りで実施された2軍練習を視察。巨人の指揮を執っていた98年以来、15年ぶりに「聖地」に足を踏み入れ、感慨に浸った。V9黄金時代を支え、1955年から98年まで選手が汗と涙を流したグラウンド。5月の風薫る多摩川が、セピア色に染まった。

 長嶋氏は、静かにつぶやいた。懐かしそうに、目を細めながら言った。

 「土と空は、ずっと前と変わらないねえ。柔らかな、いい風を感じるよ」

 雲一つない青空。陽光は夏のようだ。南西の方角を見つめると「(昔は)富士山も見えたんだけどなあ」と悔しがった。大田区内の自宅から車なら約3分、徒歩なら10分ほどの距離にある旧巨人軍グラウンド。こうして練習のために足を踏み入れるのは球場が建設省(当時)に返還される直前、98年3月17日に行われた最後の1軍練習以来だ。58年の巨人入団から自身もここで泥にまみれ、汗と涙を流してきた。プロ野球選手としての青春の地。2度の指揮を執った監督時代も、慣れ親しんだ場所だった。巨人の、そして自らの原点。それが多摩川だった。

 「おはよう。きょうは暖かいな。聖地・多摩川で(練習を)やることは素晴らしい。さあ、行こう!GO!」

 午前10時前にグラウンドに到着。さっそく2軍選手の前に立つと、円陣の中心であいさつした。ベージュのジャケットに緑のセーター。04年に脳梗塞で倒れて以降、いまだ麻痺(まひ)の残る右手はスラックスのポケットに入れたままだが、背筋はピンと伸びている。約1時間の視察。一度も椅子に座ることはない。身ぶり手ぶりを交えて練習を熱心に見守った。優しい笑みと真剣なまなざしで。当時と同じりりしい立ち姿でだ。

 監督時代は、グラウンド脇を通って河川敷を約7キロもランニングしていた。現在もリハビリのため、毎朝近くを散歩している。「聖地は、昔も今もきれいだったな」。そう言って午前11時すぎに球場を後にした長嶋氏は、そのままリハビリのため病院に向かった。1週間のうちで一番厳しく、つらいという約4時間のメニューを行うために。約1000人のファン、100人以上の報道陣が集まった。15年ぶりの多摩川練習を懐かしみ、ミスターの姿をひと目見るために。5月9日。多摩川には、昭和を思い出す懐かしい風が吹いた。

 ▽旧巨人軍多摩川グラウンド 東京都大田区の多摩川左岸側河川敷にある野球場で、現名称は多摩川緑地広場硬式野球場。1955年(昭30)に建設省(現国土交通省)から敷地を借り受け、グラウンド整備や付随施設を建設。同年6月11日に開場し、巨人のV9時代を築く拠点となった。1軍はA、2軍はB球場を使用。両翼100メートル、中堅110メートルで、照明施設はなし。85年10月に川崎市多摩区にジャイアンツ球場などが完成し、98年3月末の借地契約完了に伴って国に返還された。現在は、多摩川緑地広場管理公社が委託管理を行う。一般開放され、草野球や少年野球などで使用可。東急東横線、目黒線、多摩川線の多摩川駅から徒歩15分。

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