畠山 故郷へ恩返し弾「あの状況で応援してくれた。凄いと思った」

[ 2012年7月24日 11:15 ]

<全パ・全セ>試合後、手を振りながら場内を一周する畠山

オールスター第1戦  全セ2―6全パ

(7月23日 岩手県営)
 【ヤクルト・畠山手記】スタメン4番で一発が打てるなんて。芯に当たると思わなかったので、まぐれです…。でも高木監督からフルイニング行くと言われたのでチャンスはあると思った。正直、この成績(打率・258、7本塁打)で出場していいのかという気持ちはあった。僕が出られるのは岩手県の花巻市出身で、盛岡で球宴があるということだけと思っていた。でも球場入りして声援も多かったし、高校時代(専大北上)と違う姿を見せたいと思った。

 昨年の3月11日、東日本大震災の映像をテレビで見て、正直怖かった。見たこともないことが起こっていた。本当に怖かった。家族が心配になって…。横浜でのオープン戦で球場の電話を借りて。あの時は結局公衆電話が一番つながった。俺の高校のチームメートの実家も津波で流された。本人は山形にいて無事だったんだけど、実家がない。家族の人はどうやって暮らしているのか?とか、考えたりした。

 岩手はずっと育ってきた場所。実家の周辺なんか、田んぼ、田んぼ、田んぼ…。両隣に家があって、近くに大豪邸とかあったけど、見渡す限り田んぼ。小学生の時に、家に唯一あった金属バットで田んぼに向かって石を拾って打っていた。バットが凄くいびつになってね。ボコボコになるんだ、これが。隣の家が所有している田んぼにも打ち込んだりして怒られた。「田んぼに石が突っ込んでる」なんて言われて。でもそのころはテレビゲームもなくて、暗くなるまで遊んでいた。家の周辺を思い出したりはしなかったけど、そんな地元がひどい目に遭っている。何とも言えなかった。それでも、みんなが「頑張れ、頑張れっ」と言ってくれて。あの状況の中で応援してくれた。本当に凄いと思った。

 花巻市にある宮沢賢治記念館も行った。遠野のカッパ伝説も信じていた。遠野に行けばカッパに会えると思っていた。素晴らしい場所ですよ。生きていく環境が、そういうもんだと思っていた。東京とかの映像をテレビで見て、そこに住みたいなんて思ったこともなかったから。

 自分がプロ野球とか言う感じでもなかった。家にも野球選手のポスターは張ってなかった。広末涼子のポスターは張っていたけど。中学時代に2度、プロ野球を観戦したけど、プロを意識したのは高校3年くらいだったのかなあ。

 岩手県営球場は高校3年間、決勝を戦った地。3年だった2000年夏は、勝って甲子園を決めて泣いた。相手(盛岡中央)には高校1年の秋から公式戦全敗していたから、本当にうれしかった。思い出の詰まった場所ですよ。今季は1打点ごとに1万円の基金を実施している。目標100打点。まだ34打点で前半戦は働けなかったけど、一つでも多く打点を稼ぎたい。公言しているし、たまったお金で野球道具を購入し被災地に送る。最近は調子も上がってきたから、優勝目指して自分に厳しくやっていこうと思います。(ヤクルトスワローズ内野手)

 ◆畠山 和洋(はたけやま・かずひろ)1982年(昭57)9月13日、岩手県花巻市生まれの29歳。専大北上では夏の甲子園に2度出場。高校通算62本塁打。00年ドラフト5位でヤクルトに入団。昨季4番に固定され自身最多の23本塁打をマーク。愛称は「ブー」。通算579試合で打率・266、262打点、59本塁打。1メートル80、96キロ。右投げ右打ち。

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2012年7月24日のニュース