お祭り男襲名だ!陽岱鋼、MVP「サンキューでぇーす」

[ 2012年7月24日 06:00 ]

<全パ・全セ>3回1死一、二塁から陽岱鋼は先制の3ランを放ち嶋、中田、ペーニャに迎えられる

オールスター第3戦 全パ6―2全セ

(7月23日 岩手県営)
 「お祭り男」を襲名してもいいだろう。盛岡の夜空に、決めゼリフの「サンキューでぇーす」が響き渡った。7年目で初出場を果たした夢舞台で、MVPに輝いた全パの陽岱鋼(日本ハム)。賞金300万円のボードを手に「気持ちいいですね。2つ負けていたので絶対勝ちたいと思っていた」と会心の笑みを浮かべた。

 0―0の3回1死一、二塁。三浦の直球を左翼席に運んだ。全パにとっては、20日の第1戦(京セラドーム)で自身が先頭打者アーチを放って以来、20イニングぶりの得点。「僕が(44年ぶりとなる初打席での初回)先頭打者本塁打とか変なことやって流れが悪くなっちゃったのかな」。25歳は苦笑したが、初回には左前打、4回には右前適時打で3安打4打点と文句なしのMVPだった。

 昨年3月11日の東日本大震災以降、最も多くの義援金を送ってくれたのが陽岱鋼の母国・台湾。その額は2億円を超える。「知っていますよ。数年前(99年)に台湾で大きな震災があったとき、日本の皆さんがたくさん義援金を送ってくれた。だから恩返しの気持ちが強いんです。僕も台湾の代表として日本のためにという気持ちがある」と話す。台湾の華視新聞などが行った調査では「2011年の最高に幸福な出来事」の第1位に日本への義援金が世界で最も多かったことが選ばれ、今年3月にはテレビCMで「台湾の皆さんのおかげで元気になれた」という震災から1年たった被災者のメッセージも流れた。台湾で生まれ、日本で生活する陽岱鋼にとって、被災者を励ましたい気持ちは誰よりも強かった。守備位置の中堅から、外野スタンドにボールや自らのリストバンドも投げ入れ「子供たちの笑顔が見られて良かった」と誇らしげだった。

 「この雰囲気は病みつきになる」と真夏の祭典に酔いしれた陽岱鋼。全パを率いたソフトバンクの秋山監督も「後半戦、この選手は怖いなと思いながら見ていた」と最大級の賛辞を送った。

 ≪初出場MVPは日本ハムでは45年ぶり≫陽岱鋼(日)が2号決勝3ラン。初出場の年に2本塁打以上は、78年ギャレット(広)の3本を筆頭に7人目で、チーム初。また、日本ハムで1球宴2ホーマーは、62年張本、72年阪本、大杉(全て東映時代)、82年柏原、昨年稲葉に並ぶ6人目の最多タイになった。なお、陽岱鋼の本塁打は2本とも先制弾。1球宴で肩書付きの殊勲本塁打を2本は、09年松中(ソ)以来7人目の快挙で、初出場でマークしたのは陽岱鋼が初めて。日本ハム(72年までは東映)勢のMVPは7人目で9度目。うち、初出場は60年張本、67年大杉に次ぎ45年ぶり3人目となった。

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