小笠原「最高」耐えて3年連続リーグV

[ 2008年10月11日 06:00 ]

久保(右)にビールをかけられる小笠原

 【巨人3―1ヤクルト】巨人・小笠原にとって、3年連続のリーグ制覇だった。敵地で大歓声を浴び、その喜びをかみしめた。昨年11月に手術した左ひざの痛みと戦った08年。特別な思いを吐露した。

 「最高。ひざ?もう忘れた。最高としか言いようがない。1人ではできない。周りの力があってのこと。人とのつながりの大きさを痛感した」
 開幕に合わせるために、キャンプは自らのペースでリハビリに励んだ。春先は痛みが消えていなかった。6月終了時の打率は・253。左足を引きずるようなしぐさが目立ったが「大丈夫です」という言葉を自分に言い聞かせた。
 夏場、治療と強化の徹底で、徐々に不安はなくなっていった。2本塁打を放った7月12日の横浜戦(東京ドーム)を境に、打ちにいく際の右足の裏が、完全に投手に見えるまで高く上がるようになった。左足で踏ん張れるようになった証だった。打席での構えでは、バットの角度も立つようになった。「何も意識してないよ。何も変えていないよ」と言いながら、手応えを得た。9月3日、サイクル安打を達成した日に打率を3割に乗せた。この日もしっかり2安打をマークした。
 そんな3番打者とコンビを結成したのが、移籍1年目のラミレスだった。「感激もひとしお。胴上げは興奮して分からなかった。少しは監督に触れたと思う」。昨年はヤクルトの左翼手として巨人の胴上げを見ていただけに「逆の形になったね」と笑った。打点、本塁打で自己最高の記録をマークしMVPの最有力候補だ。小笠原とのアベック弾はONを超える15回。2人が本塁打を放った試合は無敗だった。
 2人がきずなを深めたのは4月の広島遠征中だった。食事をしながら打撃論について語り合った。共通点があった。球を待たずに打つ点だった。2人の初球を叩いた打率は小笠原が・382、ラミレスが・432。「もともと最初から振っていくタイプだけど、小笠原も初球からガンガンいく。彼の後ろを打っていて、似ていると思ったね」。助っ人も影響を受けていた。
 左ひざ痛と付き合い、ラミレスと出会った1年。小笠原は言った。「きょうは先のことは聞くな」。心から安どした表情だった。

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2008年10月11日のニュース