フィリーズ2発で逆転!赤鬼マニエル先勝

[ 2008年10月11日 06:00 ]

 【フィリーズ3―2ドジャース】ナ・リーグの優勝決定シリーズが9日(日本時間10日)開幕し、フィリーズが2本塁打でドジャースに逆転勝ちした。かつて日本でもプレーしたチャーリー・マニエル監督(64)の我慢の起用に不振のチェース・アットリー内野手(29)が右越え同点2ランで応えるなど最高の形で先勝。フ軍では93年以来、15年ぶりの同シリーズ白星となった。

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 本拠地に花火が打ち上がる。4万5839人の観衆は白と赤のタオルを激しく振って「BEAT LA(LAを倒せ)」の大合唱だ。本拠地で先勝。マニエル監督は「初戦がとにかく大事だった。選手が自分たちの力を発揮してくれた」と柔和な笑みで称えた。
 選手を信じ続ける指揮官の意思がフ軍93年以来の同シリーズ勝利に導いた。6回無死二塁、アットリーが右翼席へ同点2ランを運んだ。地区シリーズ4試合で打率・133の不調だったが、マニエル監督は3番から動かさなかった。「打席を積み重ねることで、自信を取り戻せるんだ」とアットリー。そして5番バレルが左翼へ決勝ソロで続いた。こちらも地区シリーズでは腰痛の影響で最初の3戦で8打数無安打だった。「チームを支えてきたのは選手たちだ」との指揮官の言葉に応えた2人の一発だった。
 ヤクルト、近鉄でプレーし、「赤鬼」として恐れられた姿は今のマニエル監督にはない。「日本で野球をしていなかったら監督になっていなかった。日本の規律や文化に触れることで、他人に敬意を払うことを学んだ」。だからこそ忍耐強く選手を起用できる。
 8回1死無走者ではド軍の主砲ラミレスを打席に迎えた時、マウンドに行った。「マニーを出しても同点の走者で勝ち越しではない」。その言葉に2番手マドソンが三直に仕留めた。リーグトップの214本塁打の重量打線と監督の細やかさがかみ合っての1勝だ。
 日本球界を経験し、メジャーの監督で世界一となったのはデーブ・ジョンソン氏(86年メッツ)だけ。球団としても80年以来2度目の頂点へ。「グランパ(おじいちゃん)」と選手に親しまれる指揮官が最高のムードをつくり上げている。

 ◆チャーリー・マニエル 1944年1月4日、ウエストバージニア州生まれの64歳。ツインズやドジャースで6年間プレーし、76年からヤクルト、近鉄で活躍、81年にヤクルトで現役引退。1メートル90を超える巨体と闘志あふれるプレーで「赤鬼」の愛称がついた。日本での6年間の通算は打率・303、189本塁打、491打点。MVP1度、本塁打王2度、打点王1度獲得。94年からインディアンス打撃コーチ、00年監督に昇格。02年シーズン途中に解任されたが、フィリーズのGM補佐を経て05年からフ軍の指揮を執っている。

 <田口 代打で初出場も「最悪」バント失敗>田口は1点リードの7回に代打で今ポストシーズン初出場。無死一塁からマダックスの初球をバントしたが、一邪飛に倒れた。初出場には「お客さんのエネルギーはさらに大きくなっていた。僕自身は特に変わりなかった」と話したが、接戦でのミスには「転がせばいいと思ったが、思った以上に球が動いた。こういう時のためにベンチに置いてもらっているのに。最悪です」と悔やんでいた。

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