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【コラム】海外通信員

隠れメッシ フランス“花の87年組”

[ 2016年1月30日 05:30 ]

 フランスには“隠れメッシ”がいる。

 そのドリブルが炸裂すると、敵DF陣は何が起きているのかわからない。手も足も出なくなり、気づくともう抜かれている。観衆も見とれるばかりだ。ひと昔前にはフランス中の“嘲笑の的”だった彼。だがいまは、“別人になった彼”に誰もが陶酔し、誰もが拍手と絶賛を送っている。

 その名はアテム・ベン=アルファ。

 “花の87年組”(ベンゼマ、ナスリ、メネーズらも輩出した87年生まれ)のスターでありながら、いつの間にか消え、もう再起不能だろうと思われていたあの天才――。それが本当に生まれ変わって戻ってきたのだ。高額のサラリーで誘ってきた中東や中国のクラブを蹴り、あえてニースという小さなクラブで再出発したベン=アルファ。正直に書こう。最初はそれでも、疑念を拭いきれなかったものである。

 だがシーズンが開幕してみると、彼は異次元のプレーでチームを牽引。10試合で7ゴール2アシストを炸裂させ、あのイブラヒモビッチと並ぶリーグ2位の得点数を実現したのだった。もっとも11月以降は9試合で0ゴール0アシストに終わり、「やっぱりな~。アテムはいつもこうなんだ」という声がまた聞かれ始めた。

 ところがその直後の1月15日の第21節。PSGに次ぐ2位でリーグを席巻していたSCOアンジェを迎えると、アテムはまた脅威のドリブルで敵を翻弄、最後はPKをさらりと2本も決めてしまう。終わってみれば2-0だった。そのドリブル成功率は、ヨーロッパ5大国トップ。ベン=アルファはこの時点で77のドリブルに成功し、76のネイマールを凌ぎ、3位につけるメッシをも嘲弄していた。

 いま注目されているアンジェのムーラン監督は、敗北後にこう語った。「私はファンだね。組織には対策も立てられるが、これほどの怪物に対策は持てないよ。後半なんか、彼がボールを取るたび、プフ~~~~だった。メッシと対戦する全てのチームは、自分たちを待ち受けているものを覚悟していて、でも結局対抗できない。ちょっとそれと同じだね」ちなみに「プフ~~」というのは、「駄目だこりゃ~~」という意味合いの溜息である。

 7連続フランスチャンピオンタイトルを誇る元フランス代表FWシドネー・ゴヴ(引退)も最近、「これまで接した中で最強だった選手は?」と質問されて、迷わずこう答えている。

 「アテム・ベン=アルファ。16~7歳でちょっとメッシみたいだった。ドリブルをしなくても、ボールを持って走るだけで誰でも抜けちゃって。信じられない感じだった。僕に言わせれば、(世界は)ベン=アルファ、メッシ、ロナウドになっていたはずだよ」

 これはアテムをよく表現している。派手なフェイントもマタギもソンブレロもしないのに、いつのまにかスルスルとドリブルが実現されるのだ。

 どんな人生もドラマだが、アテムのそれも波乱万丈だ。たった12歳で「神童」「天才」の名をほしいままにし、INFクレールフォンテーヌ→リヨン育成センター→王者リヨンでプロデビューと出世街道を驀進、ベンゼマとともに怪物ぶりを見せつけたアテム。

 ところが彼は、どこでも悶着を起こす選手になってしまう。ごねる。ふくれる。チームメイトや練習を小馬鹿にする。監督に悪態をつく。気づけば、23歳になっても25歳になっても、“手におえない大きな子ども”のままだった。EURO2012でも当時のブラン監督を嘲り、これを最後にフランスから消えた。

 そしてアテムは悪夢を経験する。

 2014年、27歳になっていた彼は、ニューカッスルでシーズン開幕前からリザーブに送られ、何カ月も17歳の子たちとプレーさせられる。知らぬ間に10番のユニも没収され、挙句にフル・シティに捨てられた。そこでもうまくいかず、ついにフランス帰国を決意、ニースと契約する。だがFIFAが「1シーズンに3つのチームでプレーすることは禁止だ」と難癖をつけ、失業してしまうのである。ニースは彼を支えながら6カ月待った。

 アテムはこう振り返る。

 「扉のない真っ暗な部屋に閉じ込められているような感じだった。地獄を見た。出口がないんだ。苦しかった。光が見えなかった。いつか光が差し込んで道が見えると自分に言い聞かせたけど、光が見えなかった。実のところ僕は、地獄から戻ってきたんだよ」

 体験した人ならすぐにわかるだろう。ここに嘘はないということを。これは体験した者だけが使える言葉だからだ。精神医学上で言えば、極度の抑鬱状態にあったはずだ。

 アテムはこうも言う。

 「頭の中に小さい悪魔がいてこう囁くんだ。『何もかも投げ出してしまえ』って。すると小さな天使がこう囁くんだよ。『駄目だ、何も諦めるな』って。正真正銘の闘いだった。でも『諦めるな』が『投げ出しちゃえ』を挫いたんだね」

 それでも私は、自分の目で確かめようと代表合宿に赴いた。マルセイユ時代にいざこざを起こしたフランス代表のデシャン監督が、ついにアテムを代表に再招集したからである。そして記者会見に現れたベン=アルファは…、別人になっていた!初招集された新人のように初々しく、それでいてしっかりした言葉で話す、謙虚な選手になっていたのである。この冬も、誰もがクリスマスから年末年始にかけてバカンス旅行に出かけたのに、アテムはニースで自主トレーニングを続けた。

 「てっぺんに登り着くにはうんと努力が必要だってやっとわかってね、それを受け入れたんだ。長い間僕は、もっとずっと簡単なものだと思っていた」

 もちろん彼は、メッシのように年40~50ものゴールを決める選手ではない。だがそのドリブル力がチームのために発揮されれば、巨大な威力ともなる。アテムは、「EUROなんてほど遠いよ。ニースで楽しくできるだけのことをしたいんだ」と言っている。と言いながら、1月23日の第22節もゴールをこじ開け、ニースを暫定2位に牽引した。

 3月に29歳を迎えるベン=アルファ。その2カ月後、彼はEURO2016のリストに入るだろうか。競争は熾烈だ。だがフランス人はいま、巨大な努力で“闇”を拒絶した“隠れメッシ”を、どこか優しく見守っているような気がする。(結城麻里=パリ通信員)

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