×

【コラム】海外通信員

ヤンマー&セレッソ大阪とレッドブル・ブラガンチーノのパートナーシップにワクワクが止まらない(前編)

[ 2022年8月29日 20:00 ]

レッドブル・ブラガンチーノ(提供写真)
Photo By スポニチ

 『ブラジル×ヤンマー×セレッソ×レッドブル×ブラガンチーノ=?』(大野美夏=サンパウロ通信員)

 今年の7月22日にこのようなプレスリリースが流れた。

 ヤンマーホールディングス株式会社は、ブラジルプロサッカーリーグ(カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA)に所属する「レッドブル・ブラガンチーノ」と2022-23年シーズンよりプレミアム・パートナー契約を締結しました。

 これを読んで、「ヤンマーがブラガンチーノと?!すごい!」と目を見張った。

 ブラジルには世界タイトル、ナショナルタイトルを取っている数多くの名門と言われるクラブがある。日本の人から見たら「レッドブルは知っているが、ブラガンチーノってなに?」と思うことだろう。しかし、このパートナー契約はものすごい価値と可能性を秘めているとブラジルにいる者ならわかる。

 まず、ブラガンチーノというクラブはサンパウロ州のブラガンサ・パウリスタという人口15万人程の市を本拠地とする1928年創立の歴史あるクラブである。確かに南米タイトルもナショナルタイトルも取っていないのだが、その名前は全国に知られている。それは1989から92年のカイピーラ(田舎者)大旋風があったからだ。

 この黄金時代の最初を築いた監督が、その後パルメイラスで全国タイトルを連覇し、代表監督に上り詰めたヴァンデルレイ・ルシェンブルゴだった。ルシェンブルゴはチームをカンピオナート・ブラジレイロ2部優勝させたが、1年でクラブを後にした。次にクラブが連れてきたのが中東帰りのカルロス・アウベルト・パレイラ監督。誰かわかるだろうか?そう、94年W杯アメリカ大会でブラジルに24年ぶりにタイトルをもたらした監督だ。そのパレイラがブラガンチーノを90年から91年率いて、この時の中心選手にいたボランチがマウロ・シウヴァだった。91年にはカンピオナート・ブラジレイロ1部で準優勝し、パレイラはその手腕が認められブラジル代表の監督に選ばれ、その3年後には世界タイトルを取っていたというシンデレラストーリーの始まりが、まさにこのブラガンチーノだったのだ。

 監督の出世のみならず、ブラガンチーノで監督の絶対の信頼を勝ち取ったボランチのマウロ・シウヴァはセレソンに召集され、W杯優勝になくてはならない中心選手となり、スペインのラ・コルーニャに移籍し13年という長きに渡ってチームに貢献しコパ・デル・レイやスーペルコパ・デ・エスパーニャとナショナルタイトルを取るに至り黄金時代を支えた。今でもクラブにとって栄光のプレーヤーとして讃えられている。

 ルシェンブルゴ、マウロ・シウヴァ、パレイラというブラジルサッカーの伝説とも言える監督と選手がブラガンチーノでチャンスを掴んだのだ。

 そんなブラガンチーノだが、近年再注目されるようになったのは、2019年にエナジードリンクで有名なレッドブルがブラガンチーノを買収合併したからだ。実はレッドブルは2019年以前に2007年からブラジルサッカー界に進出していた。レッドブル・ブラジルという育成クラブを作り、人材豊富なブラジルで選手を育て、主に欧州の海外に選手を輸出する選手育成ビジネスが主な目的でサンパウロ州リーグの4部に相当するセリエBからスタートした。選手育成ビジネスは施設、人材集めなど初期投資が大きく、リターンには時間がかかる。そこはレッドブルの資金力でカバーし、じわじわと力を付け、リーグ戦上部に上がっていっていた。そして、満を持してブラガンチーノを買収し、レッドブル・ブラガンチーノとして一足飛びに全国リーグ2部からスタートして、すぐに1部に昇格した。南米タイトルにもあと一歩のところまで来ている。

 そもそもレッドブルは世界中のサッカーに限らず、スケートボード、サーフィン、eスポーツ、MTB、格闘技、ビーチバレーなど若者に人気のスポーツで多くのサポートをしている。ちなみにセレソンのネイマールもレッドブルの契約選手である。

 レッドブルのマーケティングフィロソフィーにはプレーヤーとスポーツを『一緒に盛り上げていきたい』というサポートスピリットがあり、この姿勢はまさにブラジルにおける育成クラブの展開にぴったりだった。レッドブルという黒船の到来はブラジルサッカーに新たな風を吹き込んでくれることになった。

 さて、そんなブラガンチーノとこの度、ヤンマーがコラボをするという。これまでにも日本企業がブラジルのクラブのスポンサーになったことはある。が、今回の狙いは単なるスポンサーでなく、パートナーシップである。ヤンマーとレッドブルは、すでにアメリカMLSのNYレッドブルズとパートナーシップ契約をしたこともあり、同時期には日本でレッドブル・ジャパンがセレッソ大阪とトップパートナー契約を締結している。

 ヤンマーホールディングスのスポーツビジネス室ソリューショングループの山添淳史さんはヤンマーとレッドブルのコラボのきっかけをこう話す。

 「ヤンマーとレッドブルとの接点はヤンマーがオフィシャル・テクニカル・パートナーをしたマリンスポーツのアメリカズカップでした。レッドブルの哲学に触れ、ニューヨークレッドブルズとのパートナーシップ契約の契機となりました。」

 レッドブルグループのサッカー事業は本社を置くオーストリアのRBザルツブルク、ドイツにRBライプツィヒがあり、世界のレッドブルグループとの強固な関係を築いていった。2005年にはセレッソアカデミー出身の南野選手がRBザルツブルグに移籍している。

 「ヤンマーがスポーツビジネスに関わるのは、地域・社会貢献であり、サッカーを通してヤンマーという会社をよりよく知ってもらうため」(山添さん)

 今回のレッドブル・ブラガンチーノとのパートナーシップ契約で、ヤンマーはレッドブルのスポーツエキサイティングブランドとしてのアピール力をより一層吸収し、企業の認知度を上げ、ヤンマーブランドが広がることが期待される。

 ちょっとヤンマーとブラジルのご縁に触れてみよう。ヤンマーは終戦後からブラジルに進出し、65年の長きに渡って日本移民と深い繋がりを築いてきた。ブラジルは日本の23倍の広大な大地を持ち、世界でも有数の農業生産国だが、”YANMAR”ブランドで農業機械、エンジン、建設機械を生産、販売してブラジルで一目置かれる信頼を集めている。

 今、ブラジルで日本と同じ美味しい野菜や果物が食べられるのはきめ細やかな作業で作物を作ってきた日本人移民の貢献が大きい。ブラジル人の食生活を大きく変え、サッカー選手たちが豊富な野菜で栄養を吸収できることにも繋がっている。

 ヤンマー・ブラジルの中川文夫副社長は「ヤンマーとブラジルのご縁は長いが、途中で遠切れかけた時がありました。それでも、ディーラーの方達がヤンマーブランドを応援して、再び販売されるのを待っていてくれたおかげで、復活することができたのです。」と経緯を話してくれた。

 日本メーカーの信用おける製品を使いたいというブラジルのクライアントがヤンマーを求めて、ブラジルの農業を支えてくれている。本当にありがたいことだ。

 もう一つ、ブラジルとヤンマーの歴史の中で忘れていけないのはサッカーのご縁。サッカー王国ブラジルから日本にやってきた初めての選手を覚えているだろうか?

 『ネルソン吉村』

 67年に来日し、日本サッカーリーグ、ヤンマーディーゼルで釜本邦茂選手と絶妙なコンビネーションで日本サッカー界に旋風を巻き起こし、ヤンマーの黄金期を作った人物だ。彼の後、ブラジルから何人もの日系人、ブラジル人が日本にサッカープレーヤーとして行くことになった。ブラジルらしい足技でボールを操った日本サッカーの礎を作った人物はヤンマーとブラジルのご縁から日本に導かれた。

 そんなヤンマーディーゼルが母体となって生まれたのがセレッソ大阪なのは周知のことだが、セレッソのストロングポイントは育成。香川、清武、南野など世界に羽ばたいている選手を生み出し、アカデミーからプロに上がった選手も80人余いる。まさに”育成のセレッソ”だ。

 セレッソから今回レッドブルグループの一つであるブラガンチーノにレンタル移籍をすることになったのが岡澤昴星(こうせい)選手(18歳)。岡澤選手はセレッソアカデミーから今季唯一トップチームに昇格した精鋭で、足回りの技はピカイチ、セレッソの育成で大事にしている基礎技術、止める・蹴るを高い完成度ででき、運動量も多く、プレーを予測してのパスカットが得意で、クレバーなプレーができるボランチだ。

 これまでにも欧州のハノーバーで練習参加をしたことがあり、国際的な刺激をもらってきた経験がある。

 「ブラジルは遠いところで、まさか自分が来るとは思わなかった。日本と比べて施設など整っていないのかなと思っていたけど、不自由なく過ごしている。食事も美味しい!勝負にこだわる意識や、体の使い方、体の入れ方、タイミング、足の出方、色々な日本で発見できなかったことを吸収したい。今までの安定した生活から、世界の育成の場に身を置いて、一日一日のプレーが今後の人生に関わってくることをひしひしと感じている。サッカー人生のターニングポイントになれるように頑張る。U20では負けていないと思う。ただ、止める・蹴るは日本ではビルドアップのため、組み立てるためなのが、ブラジルではゴールのためという意識が強く、そこが世界との差なのかなと感じた」(岡澤選手)

 そして、もう1人、夏休みを利用して練習参加しているのが、木下慎之輔くん(18歳高校生)。木下くんはU-18プレミアリーグWESTで得点ランキングトップ、セレッソアカデミーの最高傑作と言われている逸材だ。スピードで抜き去ることのできる、決定力の高い選手。

 「来る前は不安もあったけれど、みんなに受け入れてもらってパスも来るようになった。ブラジル人の選手はヘディングが強いですね。でも、技術では対等にやっていけると思いました。」(木下くん)

 今回、ブラジルに同行してきたセレッソ大阪のスカウト担当の都丸喜隆さんは、「ブラジルでの課題は良い意味のカルチャーショックで選手として人間としての幅を広げること。サッカー、物事の考え方、プレーの評価など、さまざまな日本との違いがある。岡澤くんの理想のサッカー像を一度ぶち壊し、再構築ができるくらいの経験を積んで欲しい。」

 ブラジルで結果を残すには、ピッチの中だけでなく、外でのコミュニケーションがとても重要だ。

 「セレッソの仲間は仲が良く、言いたいことを言いあえる環境があった。でも、ブラジルに来て感じたのは、スタッフと選手の距離がとても近い。日本では一線を画すところがあるが、ブラジルではもっとプライベートなことや雑談を気さくにしている。パスがもらえるように、もっとコミュニケーションを取って、積極的にならないといけない。ブラジル人たちは僕がポルトガル語が分からなくても、ずっと話しかけてきてくれる」

 インスタグラムの写真を見たところ、チームメートたちとの距離もどんどん縮まってきているようだ。

 都丸さんはこう言う。「岡澤選手には、日本のJ1の選手がここまでできるということを証明して欲しいし、第1期生としての責任感を持って、この武者修行を生かして、日本代表、海外と続いていって欲しい」

 その後の、後輩たちへのルート作りとしても岡澤選手の活躍を期待するのは、ヤンマーの山添さんも同じだ。「このレッドブル・ブラガンチーノは世界に挑戦できるクラブ。より成長できるチャンス。レッドブルグループを視野に入れて、いずれは世界に羽ばたいてもらいたい」

 ボランチとして、ブラジル人の選手を操れるか、言葉の壁を乗り越えなければならない。が、セレッソのプロとしてのプライドがかかっている。

 「そのための援護射撃は最大限やっていきます」(山添さん)

 都丸さんは木下くんにもこう期待する。「残ってくれと言われるくらいにこの練習参加を生かして欲しい」

 山添さんも、都丸さんも大学生までプレーヤーとしてサッカーに取り組んできた経験者でもあり、ビジネス的観点で、選手、クラブ、会社にとってリターンをもたらす結果を出さなければならない責任感をみんなが持って取り組んでいる。岡澤選手が結果を出すための最大限のサポートをすることを惜しまない。(後編に続く)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る