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【コラム】海外通信員

日本に馳せる想い ボカ・ジュニオルス

[ 2015年9月20日 05:30 ]

今夏、ボカ・ジュニオルスに復帰したテベス
Photo By AP

 去る9月13日に行なわれたアルゼンチンリーグ第24節のスーペルクラシコ、対ボカ・ジュニオルス戦で、リーベルプレートのサポーターたちが大きな日本の旗のコレオを披露した。12月に日本で開催されるクラブワールドカップに南米代表として出場する誇りを、宿敵ボカに見せつけるためである。

 というのも、ここ十数年間、「日本は我々のホーム」と主張し続けてきたのはボカのサポーターだった。2000年から07年までの8年間にコパ・リベルタドーレスで4回優勝し、世界王者決定戦のために4回訪日し、3度にわたって欧州の強豪を打ち負かして世界一の称号を手にしていたからだ。

 その間リーベルはというと、カップ戦で優勝できず、国際タイトルから見放された状態にあった。リベルタドーレスを制覇したのも96年が最後で、2011年にはクラブ史上初となる2部降格の屈辱も味わい、まさに辛酸を舐め続けてきたと言っていい。

 だから、昨年のコパ・スダメリカーナに続き、レコパ(スダメリカーナとリベルタドーレスの覇者同士で争うタイトル戦)、今年のリベルタドーレスと、一気に3つの国際タイトルを勝ち取った感動は、言葉では到底表現できないほどのものだった。日本国旗のコレオの他、ボカ戦のために、胸にこの3つのカップが描かれたユニフォームが特別に作られたのも、「リーベルの時代が到来したんだ、今度は俺たちが日本に行く番だ!」という喜びとプライドを表すものだったというわけだ。

 ボカがかつて「日本は我々のホーム」とこだわったのも、今回リーベルが「日本に行くのは俺たちだ」と主張しているのも、アルゼンチンのクラブにとって「タイトル戦のために日本まで行く」ということがいかに名誉であるかを証明している。現在のクラブワールドカップ形式になる前のトヨタカップ(欧州と南米のチャンピオンによって争われたインターコンチネンタルカップ)の頃から、片道だけで軽く30時間はかかる地球の反対側までの長旅を経て、欧州のビッグクラブと世界一を懸けて戦うことは、かつて欧州から植民地支配されたアルゼンチン、いや南米の人々にとって「英雄的名誉」に他ならない。

 リーベルが8月11日に大阪で開催されたスルガ銀行チャンピオンシップに出場したときも、そんなプライドが感じられる面白い出来事があった。リーベルのファンによる情報サイトが、ツイッターのアカウントで「リバープレートましょう」なるおかしな日本語にハッシュタグをつけ、チームの日本での情報を拡散したのだ。どうやら「Vamos River Plate」というフレーズを自動翻訳にかけた結果、そのような日本語になったらしい。「Vamos」には「レッツゴー」の他、「~しましょう」という意味がある。つまり、本当は「がんばれリーベル」という意味にしたかったところ、「リバープレートましょう」になってしまったのである。クラブワールドカップのときには正しい日本語になおすよう、みんなで知らせてあげてもいいかもしれない。

 でも、サポーターたちが日本をそこまで意識していることを嬉しく感じるのは私だけではないだろう。

 スーペルクラシコではボカが0-1で勝利をおさめたため、この試合のために特別に作られた3つのカップが描かれたユニフォームにはちょっと負のイメージがついてしまったが、19年ぶりに南米王者に返り咲いた誇りはインタクトなままだ。クラブワールドカップのチケットのオンライン購入の際、アルゼンチンからのアクセスが集中しすぎてサーバーがダウンしてしまったため、なんとクラブ役員が日本に出向き、入手可能な限りのチケット枚数を確保できるように交渉するという。クラブによると、アルゼンチンから渡航するサポーターは15000人だそうだ。

 日本行きに寄せる彼らのこの情熱が、クラブワールドカップを面白くしてくれることは間違いない。(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)

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