×

【コラム】海外通信員

アシ! アシ! アシ・ガナ・エル・マドリー!

[ 2015年8月31日 05:30 ]

15-16シーズン開幕戦スポルティング・ヒホンと引き分けたレアル・マドリード
Photo By AP

 1939年から1975年まで、40年近くにわたってフランシスコ・フランコが独裁政権を敷いたスペインにおいて、地域との密着が大概であるサッカーというスポーツから、政治を切り離すことは難しい。その中心に位置するのは、フランコのお膝元にあったレアル・マドリードである。

 フランコは実際、レアル・マドリードに直接的に関与していたのだろうか。それは今なお続く終わりなき論争ではあるが、それでもこのクラブが力を付けたのは、独裁体制が敷かれていた時期と重なる。レアル・マドリードはチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)で大会が創設された1956年から5連覇を成し遂げ、リーガエスパニョーラでは1960年代から勢いを増し、フランコ政権下最多となる14回の優勝を果たした。彼らはフランコが統治していたスペインで盟主と称される程の強大さを備え、そのために独立意識の強いバスク、カタルーニャをはじめ、地方クラブのファンから嫌悪される存在になったのだ。

 さて、そうした背景によって生まれたチャントの一つに、「アシ! アシ! アシ・ガナ・エル・マドリー!」というものがある。スペイン語で、アシは「このように」、エルは男性名詞マドリードの冠詞、ガナは動詞ガナールの三人称単数形で「勝つ」を意味する。スペインでは有名過ぎるこのチャントが初めて叫ばれたのは、フランコの死去から4年後の1979年の11月25日。場所は今季のリーガエスパニョーラ開幕節で、レアル・マドリードがスコアレスドローを演じたスポルティング・ヒホンの本拠地モリノンだった。

 このチャントの誕生は1979~80シーズンのこととなるが、発端はスポルティングがリーガ準優勝&コパ・デル・レイ決勝進出という史上最高の成績を収めたその前のシーズンに遡る。リーガ優勝決定戦となったスポルティング対レアル・マドリード(0-1)の前試合、アストゥリアスのクラブはサラマンカと対戦し、ビクトール・ドリアとエンソ・フェレーラが退場となってスコアレスドローで勝ち点を分け合った。一方レアル・マドリードもアスレティック・ビルバオとの一戦を3-3の引き分けで終えたが、こちらは主審アウソクア・サンスがアスレティックの得点を取り消した直後、レアル・マドリードのフランシスコ・アギラールがスコアを動かしたことで何とか同点に追い付いた格好だった。このように一条の光を見たレアル・マドリードが、スポルティングとの優勝を懸けた一戦を制して通算19回目のリーグタイトルを手にしたわけだが、スポルティングファンは首都クラブがフランコ政権から引き続き何らかの権力を有し、陰謀を企てたものと不信感を募らせていた。

 そして迎えた1979~80シーズン、モリノンを舞台としたスポルティング対レアル・マドリード。前シーズンにレアル・マドリードのアスレティック戦も裁いたアウソクアは、イシドロ・サン・ホセのひじ打ちを頭に食らい、報復を行ったフェレーロに容赦なくレッドカードを提示した。当時、スポルティングファンから絶大な人気を誇っていたフェレーロは頭から血を流しながらピッチを後にし、その光景を目にした観衆の怒りはついに頂点に。そこから張り上げられた声こそが、「アシ! アシ! アシ・ガナ・エル・マドリー!」だった。このチャントは試合翌日の全国紙で紹介されると、主にレアル・マドリードを嫌う人々によって使われるようになった。

 だがしかし、負の感情によって生み出されたチャントは、単にアンティ・マドリードディスモ(反・マドリード主義)を体現するだけにはとどまらなかった。何となれば、前述のスペイン全土には、レアル・マドリードの本拠地サンティアゴ・ベルナベウも漏れなく含まれたからだ。当初こそ、このチャントを嫌悪したレアル・マドリードファンだったが、あるときから多角的な解釈を許す言葉であることに気付き、開き直りを見せて使用するように。ベルナベウの観衆はビッグゲームでの白星、特にマドリードディスモの根幹とされる不撓不屈の精神によって劇的な逆転勝利を果たした際に、「レアル・マドリードはこうやって勝つのだ!」と胸を張った。

 今季のリーガ開幕節、4年ぶりの1部復帰を果たしたスポルティングのファンは、モリノンに迎えたレアル・マドリードに自分たちが生み出した「アシ! アシ! アシ・ガナ・エル・マドリー!」を何度も、何度も、高らかに響かせている。このチャントが意味するのは、憎悪、反権力、ヒロイズム、それともフランキスモだろうか……。曖昧な言葉は深遠にも似寄り、リーガ、引いてはサッカーが様々なものを内包することを訴えかけているようでもある。(江間慎一郎=マドリード通信員)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る