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【コラム】海外通信員

フィゲレドFIFA副会長 サッカー界の『毒』の犠牲者たち

[ 2015年6月6日 05:30 ]

エウヘニオ・フィゲレドFIFA副会長
Photo By AP

 世界中を騒がせた(そして今も騒がれ続けている)FIFA汚職事件。逮捕されたFIFA幹部のリストにウルグアイ人のエウヘニオ・フィゲレド副会長の名前を見つけたとき、私は十数年ほど前にとある席で、当時ウルグアイサッカー協会会長だった彼の口から発せられた台詞を思い出した。

 「私はこのような物より、日本製の時計が欲しいんだよ」。

 日本から贈呈された立派な壷を眺めながら、フィゲレドは私にそう言った。口調からも表情からも、それが決してジョークではなく、本音であることは明らかだった。

 「贈り物というのは、物そのものではなく、贈る側の気持ちを形で伝えるためのもの」私はフィゲレドに、日本人にとっての贈り物がどのような意味を持っているのかを説明してみたが、彼は聞く耳を持たず、「次からは時計にしてくれ」と言った。

 その心無い言葉と態度にひどくショックを受けたのを覚えている。例え心の底では贈り物に不満を感じていても、それを見ず知らずの者に言うなんて。世の中には様々な人がいて当然だが、私はフィゲレドがウルグアイ人であるだけに、非常に残念に思った。

 夫の母国であるウルグアイの人々とは、長く深い付き合いがある。彼らは一般的に非常に謙虚で、横柄なところがない。年に1度ほど夫の家族を訪ねるべく、ラプラタ川を越えて同国を訪れるが、その度に現地の人々の素朴さに癒やされる。南米大陸内においても、ウルグアイ人は心優しいことで知られている。遠い日本から来た私を、まるで本当の肉親のように受け入れてくれるウルグアイの親類たちには感謝の気持ちでいっぱいだ。フィゲレドの傲慢さに、必要以上に心を傷つけられた思いをしたのは、そのためだった。

 そして一昨年4月、私はフィゲレドに再会した。アルゼンチンの地方都市で開催されたU-17南米選手権を取材していたときのこと。試合のない日に観光目的でたまたま訪れたホテルに、偶然にも南米サッカー連盟の幹部たちが宿泊していたのだ。

 ロビーで見かけたフィゲレドは、まるで別人のようだった。「壷より時計」と言ったときの、への字になった口と冷淡な目つきは全く見られず、満面の笑顔で小さな子どもたちと戯れていた。子どもたちが孫なのかどうかはわからなかったが、一緒にいた人たちは間違いなく家族で、そこでくつろぐ彼は紛れもない「心優しいウルグアイ人」のひとりだった。

 フィゲレドはウルグアイの首都モンテビデオ郊外のサンタルシアという小さな町の生まれで、若い頃は、今はなきプロチーム、ウラカン・ブセオの選手だった。小柄でスピーディーな右サイドバックだったが、選手として大成する代わりに役員として実績をあげ、71年、39歳の若さで同クラブの会長に就任。97年から06年までウルグアイサッカー協会会長を務めながら、93年から20年間にわたって南米サッカー連盟の副会長の座に留まり、2013年から1年間は同連盟の会長を務めた。

 フィゲレドが南米サッカー連盟の会長だった2年前、元パラグアイ代表GKのホセ・ルイス・チラベルトが「過去15年の間にフィゲレドは賄賂で大金持ちになった」と訴えていた。「ウルグアイの小さなクラブの役員だった頃は中古車を売って生活費を稼いでいたのに、今ではテレビの放送権売買から生まれる賄賂で潤っている。実際にプレーをする選手たちを利用して、不正から懐を肥やすような人物がサッカー連盟の会長を務めることなど許せない」。あの時のチラベルトの言葉に耳を傾けた人は、ほとんどいなかった。

 昔は選手として日々の練習に汗を流していた男が、心のこもった贈り物に不快感を示し、高級品を好むようになるという現実。今回逮捕されたフィゲレドから、金や権力というものがいかに人の心を蝕むかを改めて思い知らされた。(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)

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