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【コラム】海外通信員

“極端から極端へ” スペインサッカーの現状

[ 2015年4月14日 05:30 ]

 一人の死者を出したアトレティコ・マドリードとデポルティーボの両ウルトラスの衝突以降、スタジアム内外での暴力追放に乗り出したスペインサッカー界。スペインプロリーグ機構(LFP)の会長ハビエル・テバスは言葉の暴力や、暴力を呼び起こしかねない挑発行為などにも徹底的に抗戦する構えで、多くの事案を処分対象としている。

 最初に処分対象として取り上げられたのは、レアル・マドリードの本拠地サンティアゴ・ベルナベウで起こった「カタルーニャはクソッタレ」と「リオネル・メッシは発育異常」というコールで、レアル側は即座に対応して以上の言葉を叫んだ17人のファンを追放処分としている。ベルナベウの試合に通い続けている私にとってみれば、これまで聞き続けたその2つのコールが処分の対象になることは十分に予想できた。

 ただ、それ以降に処分対象とした言動には驚きもあった。ここまで厳しく取り締まるのかと感じたのは、バルセロナの本拠地カンプノウで行われた「クリスティアーノ・ロナウドは飲んだくれ」というコール。これはレアルがアトレティコとのマドリードダービーに0-4で敗れた日に、C・ロナウドが自身の誕生日パーティーを盛大に執り行ったことに由来するものだが、バルセロナファンはそのコールが処分対象になったとの報道後、それを「C・ロナウドは水を飲まない」という間接的に「飲んだくれ」を示唆するものに切り替えている。

 そして極め付けは、カンプノウを舞台に行われた先のクラシコで、C・ロナウドが得点を決めた際にブーイングをする観衆に対して「落ち着け」というジェスチャーをしたことまで、処分の対象となったことだ。テバスはポルトガル代表FWの行為について、「選手は挑発と思われるような振る舞いに気を付けなければならない。暴力を助長するような言動は避けるべきだ」と、許容できないものであったことを強調している。ここで思い出されるのは、1999~2000シーズンに同じくカンプノウで行われたクラシコだ。その試合でゴールを決めたラウール・ゴンサレスが、人差し指を口に当ててブーイングをするファンを黙らせようとしたことは、この伝統の一戦のハイライトとして記憶されている。しかし現在であれば、それも確実に処分の対象となるだろう。

 過去のクラシコではC・ロナウドの振る舞いなど取るに足らない程、処分に値する行為があった。1994~95シーズンのクラシコであった事件も、その一つだ。バルセロナからレアルへと“禁断の移籍”を果たしたミカエル・ラウドルップが、カンプノウ初帰還を果たしたその試合で、一人のファンが「フェルナンド・マルティン、ペトロビッチ、フアニート……。ラウドルップ、次はお前だとのメッセージを掲げた。先例として名前を挙げられたのは、いずれも交通事故によって亡くなったレアル所属の選手である。その不吉な文が記された紙は掲げられてから数分後にクラブのスタッフによって取り上げられたが、その時間はラウドルップが目にするには十分な長さだった。

 言葉の暴力や挑発行為も追放すると知り、その対象として思い浮かべていたのは、「メッシは発育異常」のコールやラウドルップに掲げられたメッセージ、また政治的プロパガンダなどの類だった。しかしながらLFPの徹底ぶりは想像を超える程で、暴力が芽生える可能性があるならば、どのような行為でさえも摘み取っていく方針のようだ。当然、このような厳格さには不満も噴出しており、ウルトラスを中心としたファンの間では、彼らが“12番目の選手”であることにちなんで、試合の12分に「テバスは出て行け」とのコールを行うという動きが生じている。その目的は「我々のサッカーを取り戻すため」。このコールはアトレティコの本拠地ビセンテ・カルデロンをはじめとして、多くのスタジアムで聞かれるものとなった。

 さて、熱狂的なレアルファンとしても知られるスペインの著名作家ハビエル・マリアスは、10年以上前に次のようなことを記していた。

 「私にもバルセロナファンの友人はいるが、彼らもカンプノウで相手にブーイングや侮辱的なコールを行う。彼らは良識や公徳心のある人間であるから、なぜそのようなことをするのかと尋ねたことがある。その答えは、不安を抱かせるようなものだった。彼らによれば、『雰囲気がそうすることを促す』のだという。違う状況を思い浮かべれば、おそらく私の感覚を理解できるはずだ。例えば、ドイツ全体がナチズム、イタリア全体がファシズム、そしてスペイン全体がフランキスモを雰囲気によって支持した。もっと言えば、誰にとっても卑下すべきものであるリンチ行為でさえ、雰囲気がそれを促すのである。そして逆を言えば、それは何もさせないことをも押し付けるのだ

 スペインサッカーの現状は極端から極端へ走り、「何もさせないこと」を促していると言える。ただスタジアムとその周囲で生み出される雰囲気というものは、愛する地域、クラブへの帰属意識に由来していることがほとんどだ。カタルーニャ、バスクをはじめとして、独立意識が強い地域が多く存在するスペインにおけるそれはまた特別なものであり、内戦の代理戦争のような役割を果たしてきたリーガにおいて、純粋なる応援だけを抽出することは骨が折れる作業だろう。折しも、今季のスペイン国王杯決勝の対戦カードは、バルセロナ対アスレティック・ビルバオと、カタルーニャ&バスクの両雄の対戦となった。過去の同カードに鑑みれば、試合前に流される歌詞のない国歌には強烈なブーイングが浴びせられることになるが、テバスは実際に指笛が吹かれた場合に試合を延期とする可能性も示唆している。5月30日にカンプノウで行われるこの一戦は、スペインサッカー史の分水嶺となるはずだ。

 最後に、責任を背負うテバスのように鋼の意思を持ち得ない私から、身勝手なことを記させてもらえば、スペインサッカーは過去が郷愁を誘う方向へ進んでいるようにも映る。アトレティコ&デポルの両ウルトラスの衝突で死者が出た際には、背筋が凍りつき、その後に憤りを覚えた。一方、ラウドルップ同様にバルセロナからレアルへ移籍する禁忌を破ったルイス・フィーゴがカンプノウに戻った際、彼に向けて投げられた豚の頭は何か狂気じみていて、そこに言い様のない魅力を感じたのも事実である。もちろん、物が投げ込まれるという行為こそ処分の対象とすべきだ。が、その赤身がかった肉片に、スペインサッカーが内包する、特異な感情の渦を見た気もしたのだった。(江間慎一郎=マドリード通信員)

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