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【コラム】海外通信員

偉大なるマラドーナ

[ 2014年1月28日 05:30 ]

10年W杯南アフリカ大会でアルゼンチン代表を率いたマラドーナ
Photo By スポニチ

 つい一昔前までは、アルゼンチンといえば「マラドーナ」が代名詞となっていて、例えばアルゼンチン人が海外に行くと、決まって「マラドーナの国だね」と言われたものだった。

 だが、数年前からメッシが台頭すると同時に、その現象にも明らかな変化が見られるようになった。08年前の北京五輪のサッカーの取材で中国に行ったフォトグラファーの夫は、現地のあちらこちらで「アルゼンチンから来た」と言う度に必ず「メッシ」という返答を聞かされ、その影響力に驚いていたが、今では中国に限らず、全世界中で同じような現象が見られる。次女も一昨年、高校の英語研修で訪れたロンドンの街中で、アルゼンチン出身と言う度に「メッシ」と言われたそうだ。メッシはアルゼンチンやサッカーといった枠に留まらず、世界のアスリートを代表する存在になったのだから、当然の成り行きといえる。

 また昨年、こんなこともあった。メッシをテーマにしたある原稿を書いた際、文中でマラドーナを比喩に取り上げたところ、30代前半の若い編集担当者から「読者に伝わりにくいかも」というご指摘を受けた。今のメッシを見て育っている10代のサッカーファンに、いくらマラドーナを引き合いに出したところで、ピンと来ないというのだ。

 確かにそうだろう。私だって、いくら60年代のアルゼンチンサッカー界に偉大な選手がいたと言われても、実際にプレーを見たことのない選手とマラドーナが与えた凄まじいインパクトを比較することなんてできない。同じように、今の10代の少年少女たちに、いくら80年代当時のマラドーナの偉大さを伝えようと思っても無理がある。

 とは言っても、やはりマラドーナの黄金期をライヴで体験した年代のサッカーファンにとって、かつての英雄の存在感が日に日に薄れていく無常さを目の当たりにすることは辛い。メッシは大好きだが、私にとって、25年前からアルゼンチンで暮し始めるきっかけとなったマラドーナは別格だし、メッシと比較するなんてとんでもないことだと思っている。サッカー選手に限らず、ミュージシャンだって俳優だって、昔と今のスターを比較することはできない。昔は昔、今は今。いつになっても、マラドーナはマラドーナなのだ。

 そんな私のこだわり、というか、熱い思い入れをバックアップしてくれるようなニュースが入って来た。なんとマラドーナが、ドバイで行われるテレビ番組にゲストでレギュラー出演するというのだ。

 「The Victorius」と呼ばれるこの番組は、プロサッカー選手になることを夢見る44人の少年たちの中から優勝者が決められるというリアリティーショー。トレーニングとゲームを経て、毎週パフォーマンスの良くなかった2人が選ばれ、うち一人だけ落とされるという仕組みになっており、マラドーナの役目はその2人の中から「再チャンスに値する」と判断した一人を救う、というものだ。

 選手たちの指導にあたるのはスペイン出身の往年の名DFミチェル・サルガードで、今回の番組でマラドーナと共演できることを光栄だとし、「マラドーナは私のアイドル。今は誰もがメッシやロナウドのことを話すけれど、私にとってマラドーナは歴史上最も偉大な選手。彼はディフェンダーたちが本当に乱暴だった時代にプレーしていたのだから」と話した。

 もちろん、マラドーナ自身もこのプロジェクトには大いに乗り気になっていて、「今回このような、アラブの歴史に残る素晴らしい企画を実現させたドバイ・メディアとドバイ・スポーツに感謝の気持と敬意を表したい」と語り、「『マラドーナはそろそろアルゼンチンに戻るころだ』と思い込んでいた奴らに、この番組を見せてあげたい。この企画のために多くの人が働き、努力を惜しまなかった。たった一人の人間の独断で自分を追い出したアル・ワスルとは違うのだ」とし、監督の座を解雇されたクラブへの皮肉は忘れなかった。

 尚、この番組で優勝した少年には、1万ドルの賞金と、ヨーロッパのビッグクラブとの契約のチャンスが与えられることになっている。マラドーナの手によって、中東から新たなスターが誕生するというこのビッグな企画に、マラドーナ世代の私もわくわくせざるをえない。(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)

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