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【コラム】海外通信員

カカー ミラン復帰で蘇る

[ 2013年10月26日 06:00 ]

10月22日CLバルセロナ戦で、復帰を果たし先制弾をアシストしたACミランのMFカカー
Photo By AP

 「移籍交渉は5時から始まって、父が僕の家に戻ってきたのは午前0時を回った頃だった。『こういう風に話が進んだ。あとは君が決めなさい』と。で、妻といろいろなことを話して、改めて父にきいた。『どうするのがいいんだろう』。そうしたらこう言われた。『私は行くべきだと思う。君のためにはそれが一番いい』と。そして、夜の2時半にガッリアーニさんのところへ電話をかけた。そしたら、5回も掛けたのに出なかった」

 ミラネッロの会見場にどっと笑いが起こる。9月4日、カカーの入団会見の席での話だ。レアル・マドリードの幹部に仲介役の代理人ブロンゼッティ、そしてカカーの代理人を務める実父のボスコ・レイチとの会談を終えたミランのガッリアーニ副会長は、カカーが重い決断をした時には夢の中だった。

 ガッリアーニ:「私はお父様に『明日朝9時に空港で』とお伝えしてたんだよ。君が必ず来ると信じてね」

 カカー:「いや、でも僕は同行されてるお友達に言ったんですよ。『行きませんので寝かしときましょう、おやすみなさい』って。冗談だけど」

 砕けた感じで掛け合いをするガッリアーニとカカーの様子からは、すっかり気心の知れた様子が伝わってきた。

 元チームメイトはもちろん、幹部や末端のスタッフに至るまで、2009年のレアル・マドリード移籍後も連絡を取り合っていたというカカー。「ミラネッロに戻ってきて、まるで自分が移籍なんか最初からしてなかったんじゃないかと思えてきた」。

 2003年から所属していたミランとは、彼にとって単なる所属先に留まらず、家のようなものだったのだろう。ミランもまた、彼の復帰を願い、昨年の夏も今年の夏も22番を空けていた。CSKAモスクワの日本代表MF本田圭佑の夏移籍が頓挫し、入れ替わるようにしてミランに帰って来たブラジル代表MFは、このクラブに特別な愛着を持っていた。

 「レアルでは継続してプレーをする事ができず、サッカーを愛する気持ちも失ってしまった。でもミランでなら、それを取り戻せる」。度重なる故障とライバルの加入もあって出場機会を減らし、モチベーションを失っていたカカーは、古巣での再起に掛けていた。

 移籍後すぐに左足内転筋を痛めても、治療期間中の給料返上も申し出てリハビリに励む。そして18日のウディネーゼ戦で、4年ぶりにサンシーロに復帰。観客の大声援に迎えられてピッチに飛び出した彼は、トップ下で繊細にパスを繋いで攻撃を動かした。途中、若手のニアングがシュートを外した際は、一生懸命励ますベテランらしい姿も見せていた。

 そして3日後のCLバルセロナ戦で先発すると、いきなり活躍した。まず1分に突破からCKを奪取し、その後もロビーニョとパスを繋ぎ攻撃を演出。そして9分、ピケがこぼしたボールをロビーニョがボールを奪い、それを裏に走り込んだカカーに流す。これをカカーが冷静に折り返し、フリーのロビーニョがシュート。ミランに先制ゴールをもたらした。しかし攻撃もさることながら、もっと印象的なのは守備だった。

  試合前、アッレグリ監督から「左ウイングをやってもらうが守備をしてくれ」と頼まれ、それに懸命に応えた。 守備の際にはしっかり引いて、プレスを掛ける。サイドバックのカバーに入ることもあり、41分にはメッシから1対1でボールを奪っていた。筋肉系の故障から復帰して2戦目、90分間を闘えるコンディションではなく後半の26分に退くが、その時はミランサポーターの巣くう南ゴール裏を向いて、左胸を叩いて声援に感謝した。

 「(移籍した)僕の選択は正しかった。このファンの声援を感じる必要があったんだ。そして必要があるなら、僕は喜んでサイドバックだってやる」。クラブから、ファンからの愛情を受け、カカーは蘇る。(神尾光臣=イタリア通信員)

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