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【コラム】海外通信員

U―20ワールドカップ優勝メンバー 21人の若武者がゆく

[ 2013年7月18日 06:00 ]

U―20W杯で優勝を果たしたフランス代表
Photo By AP

 7月14日の革命記念日まで1時間と迫った13日夜、フランス中の空を煌びやかな花火が彩った。わが町でも可愛いお城のような市役所を背景に、ロックに合わせた花火の芸術が噴出。隣町の花火も右に、別の町の花火も背後に見え、美しい花火の競演となった。

 さて帰宅すると、今度はテレビから、フレディ・マーキュリーのあの歌声が溢れてきた。

 We are the champions, No time for losers,
 ‘Cause we are the champions.of the world

 画面にはトロフィーを掲げる21人の若武者たちと、勢いよく吹き上がる紙吹雪。こちらの舞台はイスタンブールだ。U-20フランス代表が、FIFA主催のU-20ワールドカップ・トルコ大会を制し、ワールドチャンピオンに輝いたのである。革命記念日のロック花火クィーンのウィー・アー・ザ・チャンピオンを同時に味わったのは、実に久しぶりのことだった!

 これでフランスは、FIFAがオーガナイズする男子の世界大会を全て制覇(ワールドカップA代表、同U-20代表、同U-17代表、コンフェデレーションズカップ、オリンピック)。この夜21人は、フランスフットボール史に永遠に刻まれる快挙を実現したのである。

 もっとも当初はみなが怪しんでいた。大会が始まってもレ・ブルエ(ユース代表の愛称)のプレーはいまひとつだったからだ。

 この大会の優勝候補に挙げられていたのは、もちろんスペイン。同グループに入ったフランスが“対抗馬”と目され、“台風の目”になるとみられたのがウルグアイだった。だがフランスは案の定、グループリーグでスペインにやられてしまう(1-2)。ところがそのスペインは、準々決勝でウルグアイに不覚をとり、敗退(1-0)。一方のフランスは、スペイン戦敗北の悔しさをバネに俄然奮起、成長し始める。13日、最後に激突したのは、このウルグアイとフランスだった。

 だがファイナルは、引きつったような膠着だった。ウルグアイは4人ずつ2ラインを形成して固め、フランスはなかなかこれを突破できない。延長戦にもつれこんでも事態は変わらず、とうとうスコアレスドローのままPK戦を迎えた。

 22時30分(フランス時間)。あと数分でPK戦開始だったが、ピエール・マンコフスキー監督は懸命に志願者を探していた。何人かは「俺は蹴れない」と申し出、FWフロリアン・トーヴァン(リール)も「意識が十分スッキリしていない」と躊躇。志願したのは5人だった。キャプテンのMFポール・ポグバ(ユベントス)、MFジョルダン・ヴェルトゥ(ナント)、MFアクセル・エンガンド(レンヌ)、DFディミトリー・フルキエ(レンヌ)、FWヤヤ・サノゴ(アーセナル)である。

 そこでマンコフスキー監督は2つのメッセージを送る。1つめは、「しっかり蹴り抜け」。パネンカなどで台無しにすることだけは避けたかったからだ。2つめは、「勝てる。自分を疑わず、自信をもて。アルフォンスが1つや2つ止めてくれるから、勝てる」。

 そしてそのとおりになった。まずキャプテン・ポグバが威風堂々、決める。するとGKアルフォンス・アレオラ(PSG)が、初っ端からウルグアイの第1キッカーをストップ。この瞬間アレオラは、弁慶さながら、仁王立ちしてみせた。次いでヴェルトゥも蹴り抜く。するとまたアレオラが敵の第2キッカーをストップ。エンガンド成功、ウルグアイ第3キッカー成功。だが最後にフルキエも成功。これで勝負が決まった(0-0、PK戦4-1)。

 思えば長い長い道のりだった。

 フランスが輝かしく1998年ワールドカップに優勝した後、フランスのユース代表(女子を含む)はこの前日までに8つのタイトルをものにしてきた。だがエスポワール(U-21)代表では1988年以来タイトルがなく、昨年はエムヴィラら数人のナイトクラブ事件も発生して、惨憺たる印象を残してしまった。

 この事件でFFF(フランスフットボール連盟)は、思い切った措置に出た。エスポワール代表をチームごと処分し、1歳下のU-20代表にエスポワール代表の試合を戦わせたのである。兄貴たちの不始末を弟たちが尻拭いすることになったわけだ。こうして突如、年上の敵を相手に奮戦する羽目になったのが、今回の面々。何と9カ月にわたって、2つのカテゴリーで激闘を繰り広げることになったのだった。

 だが、15歳から一緒に戦ってきたこのチームは、もともとよく知り合った“ダチ軍団”で、団結力があった。成長の過程で、A代表のナイスナ事件(2010年ワールドカップ南ア大会のトレーニングボイコット)、ナスリ事件(ユーロ2012のジャーナリスト侮辱)、前述のナイトクラブ事件を目の当たりにし、謙虚な精神とチームスピリットの大切さを痛感させられてきた世代でもある。しかもタレント揃いだった!

 筆頭はポグバだ。U-16からしばしばキャプテンマークを巻いてきたこのブラックは、ユベントスでブレイク、すでにA代表も2キャップをこなした。まだ感情抑制がうまくいかないのが玉に瑕で、A代表でもレッドを食らい、セリエAでも5月に3試合出場停止処分となり、そのせいで今大会も試合勘不足で臨むことになった。リーダー性を出そうとしすぎる傾向もある。だが大会中に徐々に調子を上げ、ファイナルではついに本領を発揮。大会MVPに輝いた。ムスリムだが、大会終了までラマダン入りを延期してがんばったという、微笑ましいエピソードもある。

 次はDFリュカ・ディーニュ(リール※7月17日パリSG加入が決定)。近いうちにメガクラブ入りする左SBだが、そんな話はどこ吹く風。飄々と、確実に活躍する、ピッチ上の模範的テクニカルリーダーだ。A代表入りも近い。MFジョフレイ・コンドグビア(セビージャ)も、タレント力から自然とピッチ上のリーダーになっている注目株だ。

 DFサミュエル・ウンティティ(リヨン)もいる。ポグバとは一味違ったリーダーで、みながその言葉に耳を傾ける。準決勝でレッドを食らい、ファイナルはベンチから見守ったが、リヨンでの活躍次第ではA代表入りも遠くない。

 FWフロリアン・トーヴァンもいる。ロナウジーニョに憧れ、ダンスのような動きとボールさばきを真似ながらドリブルやシュートを磨いてきた少年だ。彼は昨季バスティアで大ブレイク。「フレデリック・アンツ監督の息子?」と思ったほど笑い方が似ているが、無縁らしい。だが、リール所属が決まっているのに、マルセイユが興味を持ち始めたために心がぐらつき、大会中も気がそぞろになってしまった。もっとも大会途中で携帯の電源を切る決断をし、集中を心がけてゴールも決めた。

 ファイナルヒーローになったのは、GKアレオラ。PSG所属といってもアマチュアリザーブチームのGKだが、今回の活躍で“発見”となった。そして不在だったのは、ケガで今大会を棒に振ってしまったラファエル・ヴァランヌ(レアル・マドリー)。こちらもすでにA代表入りし、将来を嘱望されている。

 「ジョー(コンドグビア)を見、サム(ウンティティ)の言葉を聴き、ポール(ポグバ)と進む」と言われるこのチームからは、きっと何人かビッグプレーヤーが生まれることだろう。1993年生まれの若武者たちは、「ジェネラシオン1993(93年世代)」の名を頂戴したところだ。

 いまフランス人は、「何とかこの世代が脱線せずにまっすぐ伸びますように」、と祈るような気持ちでいる。「取り巻きが心配」という声も多い。お金と名声に目が眩み、代理人や周囲や本人が知らず知らずに道を誤り、運命が狂う例をあまりにも見てきたからだ。
とはいえいまは、素直に喝采したい。

 14日午後、パリ・シャルルドゴール空港に到着した21人の若武者は、報道陣や出迎えの家族たちに囲まれ、満面の笑顔を弾かせた。それをそっと見守るマンコフスキー監督の目は、真っ赤だったという。

 ドメネクの破局をサブコーチとして経験し、以後3年間このチームを丹精こめて育ててきたマンコフスキー。その彼が空港で、こんなにあっけなく、彼らと別れねばならないのだ。そしてこのチームは、秋から正式なエスポワール代表となって、ウィリー・サニョル監督に引き継がれる。

 14日夜、エッフェル塔を背景に華々しく空を染めた革命記念日伝統のパリの大花火も、マンコフスキーの目には、すっかり滲んで見えたことだろう。21人の若武者の未来を、蔭から見守るマンコフスキーである。(結城麻里=パリ通信員)

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