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【コラム】海外通信員

日産スタジアムがパカエンブー・スタジアムになった夜 --クラブW杯

[ 2013年1月31日 06:00 ]

 まさかあんな光景が見られるとは思ってもいなかった。

 「ここは日本、横浜のはず。私はサンパウロから日本に来ているはずなのに、まるでサンパウロのパカエンブー・スタジアムにいるようではないか?」
そんなことを思わずにはいられなかった。

 白と黒で埋め尽くされた観客席の一角にコリンチアーノたちが、巨大フラッグを広げて、声を張り上げ、歌を歌い、掛け声をかけ、チームの名を叫び、体を揺すり続けていた。間違いなくパカエンブーで見ているおなじみの光景だ。耳には、同じくおなじみのチモン(ビッグチームの意味)の歌や掛け声が地鳴りのように響いてくる。

 2012年のサントスFCの時にはなかったチモン旋風が、クラブW杯決勝に吹き荒れていた。それもそのはず。サントスは港街として歴史的にも経済的にも重要な街には違いないが、規模からいえば小さな地方都市にすぎない。一方、コリンチャンスのあるサンパウロ市はブラジルの心臓とも言えるブラジル最大、南米最大の大都市(首都ブラジリアは政治的中心地)だ。コリンチャンスのサポーター数は2500万人とも言われ、サポーターがクラブのために使えるお金を総計すると月に約230億円という計算(Pluri Consultoria社)が出ているほど。コリンチアーノたちは、コリンチャンス共和国の国民なのだという。クラブには共和国のエンブレムがあちこちに描かれている。

 ブラジルから実に1万人のサポーターが日本に旅立ったというが、在日のブラジル人を含めスタジアムには3万人はくだらないコリンチアーノが集まった。

 なぜこれほどまでにコリンチアーノが日本行きにこだわったかといえば、欧州のクラブにとっての頂点はチャンピオンズリーグだが、南米のクラブにとっての頂点はクラブW杯だから。リベルタドーレス杯を制することイコール世界への切符なのだ。ましてや、ライバルクラブがすでに世界No.1の称号を持っていれば、何が何でも自分たちも優勝しなければならない。

 コリンチャンスにとって現在のクラブW杯は悲願のタイトルだった。実は2000年、FIFAが試験的に行ったブラジルでの第1回クラブW杯で、コリンチャンスは開催国枠で出場し、決勝で南米チャンピオンとして出場したヴァスコを破りなんと優勝してしまった。コリンチアーノにとって世界制覇は一度しているということになるが、いかんせん特別枠の出場だったため他のクラブからは全く認められていなかった。それゆえ、南米チャンピオンになり、正式に世界制覇をすることが創立100年の伝統クラブにとって大きな使命だったのだ。

 ゴールを決めた瞬間、固まっていたサポーター集団はもちろんのこと、そこら中に散らばって座っていたコリンチアーノたちも雄叫びと共に一斉に立ち上がった。スタジアム中で抱き合って喜びを爆発させている彼らの姿はまさにパカエンブーで見る光景と全く同じだった。

 車を売って日本に行ったサポーターの話ばかりが大きく取り上げられていたが、熱狂的なコリンチアーノは何も低所得者だけではなく、大金持ちから貧乏まであらゆる階層を巻き込む巨大クラブだ。あのアイルトン・セナ(富豪一家出身)もコリンチアーノだった。ユニフォームを着て『チモーン(ビッグチームの意味)、エーオー。チモーン、エーオー。』と一緒に歌うとき、貧富の差など関係なく誰もがコリンチャンスを愛する一介のサポーターになってしまうのだ。

 彼らにとってクラブは、裏切らないもの。いつもそこにいて自分を見守ってくれるもの。自分の声に応えてくれるもの。クラブはいつでも手を広げて自分を受け入れてくれるもの。辛い時も苦しい時も、嬉しい時も楽しい時も、いつでもそこにいてくれる。だからこそ、コリンチャンスの最大のサポーター集団は自らを『忠実な鷹』という。そんなサポーターを従えたチームは、泥臭いまでのプレーで信じられない勝利をもぎ取る強さを持っている。サポーターとチームの信頼関係、強い絆をこのファイナルでも見せてくれた。

 対戦相手から見ればそれは恐怖だ。そんな恐怖をこのファイナルで一番感じていたのは、チェルシーのブラジル人たちだった。試合終了とともに、泣き崩れたダヴィ・ルイス。そして、試合後、ミックスゾーンで不満を爆発させていたのはリザーブのルーカス・ピアゾン(1月からマラガにレンタル)だった。サンパウロFCの育成部育ちのピアゾンは、「僕たちブラジル人が口を酸っぱくして何度もコリンチャンスは決して侮れない相手だから舐めてかかるなと忠告したのに他の選手は全然相手にしてくれなかった」スタメンから外されたオスカールも、同じくサンパウロFC育ち。ライバルのコリンチャンスには絶対に負けたくないという炎が燃え上がっていたに違いない。

 技術、戦術、フィジカルなどの要素はもちろんのこと、ブラジルのサッカーが強い理由の一つは、このライバル心なのかもしれない。同市内、州内、州対抗、南米の隣国、欧州という各段階で常に負けられない相手がいる。1世紀以上に渡るサッカーの歴史を持つがゆえの強さ。横浜であの雰囲気を見た人は、ブラジルにサッカーが生きている姿を垣間見たのではないだろうか。

 たった一夜、日本に出現したブラジルのスタジアム。生でファイナルを見た日本人はブラジルに行かずしてブラジルの雰囲気を味わうことができた。なにを感じてくれただろう。(大野美夏=サンパウロ通信員)

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