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【コラム】海外通信員

異端児がローマに復帰

[ 2012年6月22日 06:00 ]

 イタリアサッカー界の異端児が表舞台に復活する。

 「私はもう2、3年も待てるような若者じゃない。これがビッグクラブを指揮する最後のチャンスだ」。

 今季、ペスカーラをセリエAに昇格させた65歳のゼーマン監督は13年ぶりのローマ復帰決意を万感の思いで語った。

 1998年夏、ローマを指揮していたエリート街道まっしぐらのチェコの知将はイタリアサッカー界を震撼させた。ヴィアッリや国民的英雄だった若きデルピエロらを名指しで、「筋肉のつき方が不自然」、「薬局から出るべきだ」などと名門ユベントスとイタリアサッカー界のドーピングを告発した。この発言は、検察、政界、そしてスポーツ界全体をも巻き込む一大スキャンダルに発展したが、CONI(イタリア・オリンピック委員会)は「サッカー界にドーピングはない」と発表。最終的にゼーマンは異端者扱いされ、ほとぼりが冷めるまで国外に追われた。トルコのフェネルバチから戻ってもイタリア南部の貧しいクラブを転々とし、華々しい桧舞台からは姿を消した。セリエAのオーナーからは毒舌が災いし煙たがられ、セリエBを主戦場とせざるおうえなかったのだ。本人は「ローマに戻る理由はいろいろあるが、リベンジではない。政治的問題からだ」と言ったが、志半ばでローマを解任された当時は裏切られたと想像するに難しくない。これを“人生最大のリベンジ”と言わずに何と呼ぼうか。

 ゼーマンは1991~94シーズンにフォッジャで彼の代名詞とも言える4-3-3のシステムでセリエAに大旋風を起こし一躍有名になった。今でこそ流行の3トップだが、守備重視の当時において彼のサッカーは革命とまで言われている。その後、ラツィオで最高2位となる成績を収めた後に、同じ町に本拠地を置くライバルチームのローマに移った。ローマでは、ファンタジーとテクニックを駆使して自由奔放にプレーしていた若干21歳のトッティをセカンドストラーカーから3トップの左ウイングにコンバート。フィジカルと戦術の重要性を叩き込まれたトッティは、ゴールからはかなり遠いポジションにもかかわらず前年度の5得点をはるかに上回る自身初の2ケタ得点となる13ゴールで大ブレイク。また、このシーズンに憧れのジャンニーニ退団後の10番を手にした若武者は、翌年にはイタリア代表入りとバルボ退団後のキャプテンマークを腕に巻いた。トッティはペスカーラのセリエA昇格が決定した日、恩師に「あなたは唯一無二だ。あなたの代わりは誰もできない」とお祝いの言葉を送った。それに対しゼーマンは「イタリアでは半世紀で3人のフォーリ・クラッセが生まれている。リベラとバッジョ、3人目がトッティだ」と最大の賛辞を送っている。

 ローマを指揮したゼーマンの2年間は初年度が4位、ドーピング告発後の2年目は様々な不当な判定を受けながらも5位と健闘。本人曰く「1998年、チームは他人の決定で20ポイントを失った。そのポイントがあれば、我々はもっと競争力があったはず。翌年、私がベンチで続けていれば、チームはいい成績を収めることはできなかっただろう。去るのが正しいことだったんだ」と今になって振り返っている。それでも、2季連続のリーグ最多得点は立派だ。20ポイントは大げさにしても優勝争いに絡んでいたのは間違いない。

 今季、ペスカーラでセリエBのシーズン最多得点記録95に迫る90ゴールで優勝した圧倒的な攻撃力を来季のローマでも見せてくれるだろう。就任会見では「ローマ・ファンを楽しませ、スタジアムで再び感動を与えたい」と具体的目標については言及しなかったが、目指すはカペッロ監督以来の13年ぶりのスクデット獲得だ。(下妻 宏=ローマ通信員)

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