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【コラム】海外通信員

ピッコリの挑戦

[ 2011年1月21日 06:00 ]

 Jリーグのファンならば、オマール・ピッコリの名前を覚えているだろう。JSL時代に全日空の選手として来日し、その後中央防犯を経て現在のアビスパ福岡でプレー。現役引退後は福岡の監督としてチームにアルゼンチン人ならではの熱い闘志を植えつけた。

 ピッコリといえば、00年のナビスコ杯で、先発メンバー全員を控え選手たちで構成したために「ベストメンバーを起用する」という大会の規約に反すると協会側から注意されながら、「自分にとってはコンディションの良い選手全員がベストメンバーだ」と主張し、その後の規約内容変更につながったという有名なエピソードもある。

 そのピッコリが今年から、アルゼンチンのビッグクラブ、ボカ・ジュニオルスに移籍した。自身がヘッドコーチを務めるフリオ・セサル・ファルシオーニ監督の指導スタッフとして、同氏が新監督に就任すると同時にピッコリのボカ入りも決まったというわけである。

 実はファルシオーニ監督には、昨年の初めにもボカからオファーが届いていた。09年のアペルトゥーラ(リーグ戦前期)、中堅のバンフィエルドを率いてクラブ史上初のリーグ優勝という快挙を成し遂げたファルシオーニとそのスタッフは、アルゼンチン国内に留まらず南米の他国のクラブからも高く評価され、これまでにもいくつかのオファーを受けてきたが、ボカを始め、今までは全ての誘いを断ってきていた。チーム力の維持よりも海外に選手を売却することを優先しがちなビッグクラブを好まないファルシオーニにとっては当然のことと思われ、ボカのオファーを受け入れることは難しいと思われてきた。

 だが今回、再度ボカのアモール・アメアル会長から熱烈なラヴコールを受け、ファルシオーニ監督も潔く、アルゼンチン一の人気クラブを率いる大役を引き受ける決心をした。そして、日本のサッカーに馴染みのあるピッコリのボカ移籍も実現したのだった。

 さて、そのボカには、フアン・ロマン・リケルメやマルティン・パレルモ、セバスティアン・バタグリアといった、代表クラスの選手たちがいる。ピッコリコーチにとって、スター選手たちを指導することは、困難だが非常にやりがいのある大きな挑戦となるだろう。というのも、ボカは現在近年に例を見なかったほど低迷しており、昨シーズンの成績も、19試合で7勝4分け8敗、20チーム中11位という不甲斐なさ。00年から07年までの8年間に4度も南米王者に輝いたとは思えないほどチーム力が低下しているからだ。

 それだけではない。チームのリーダー格であるリケルメとパレルモが、ピッチ外では折り合いが悪く、一時は不調の原因を互いに擦り付け合うような事態にまで至った。グループの雰囲気は決してベストな状態にはなく、これを少しでも改善し、ゲームに影響しないように努める必要もある。

 昨年4月、日本のあるテレビ番組の仕事で、三浦泰年さんと一緒にピッコリを自宅に訪ねた。そのとき彼は私に、リケルメとパレルモだけに限らない、選手間に必ず存在する嫉妬心と競争心について、独自の意見を語ってくれた。ピッコリがボカのコーチとなった今、その細かな内容をここに書くことはできないが、アルゼンチンと日本という、言葉も習慣も全く異なる国のサッカーを長年に渡って体験したことにより、彼には人並み以上の忍耐力と観察力が養われているように感じた。指導者としては45歳と若いが、その言葉のひとつひとつに説得力があるため、ボカの選手たちからも兄貴分として慕われ頼られる存在になることは間違いない。

 ピッコリの偉大な挑戦の今後を、ぜひ日本の皆さんにも見守ってもらいたいと思う。(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)

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