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【コラム】海外通信員

ネイマールとパリ、狂乱の時代

[ 2017年8月19日 06:00 ]

デビュー戦から活躍したパリSGのFWネイマール
Photo By スポニチ

 フランスは第1次世界大戦後、デ・ザネ・フォル(狂乱の時代=1920年代)と呼ばれる時代を経験したことがある。

 おびただしい数の国民が凄惨な戦争で死亡、やっと(もろい)平和が訪れたとき、人々はミュージックホールに通い、歌い、踊り、飲み、芸術を楽しみ、自由と生を謳歌せざるを得なかったのだ。ミュージックホールの女王が次々出現し、驚愕の衣装で煌めく舞台を繰り広げた。ミスタンゲットはその代表格。「世界一の脚線美」で踊り、作詞作曲し、数々のヒット曲を歌いあげ、女優にもなった伝説の女王である。

 今回の熱狂もどこかそれに似ている。

 凄惨なテロとおどろおどろしいナショナリズムの嵐がほぼ去り、やっと(もろいかもしれない)平和を勝ち取った人々は、スタジアムに再び集って、歌い、叫び、ボールの芸術を楽しみ、自由と生を謳歌したいのだ。ネイマールはそのための格好の王様。「世界一巧みな足」で華麗にボールをさばき、ゲームメイクし、アシストし、ゴールを叩き入れる。

 こうして2017年8月13日は、確かにフランスの歴史に刻まれた。

 ネイマールが、プレゼンテーションではなく戦士として初めてフランスのリーグアン(L1)の舞台に登場、対戦相手ギャンガンを翻弄しまくって、パリSG(PSG)の圧勝(3−0)をもたらしたからである。しかもデビュー戦から3ゴールすべてに絡む(敵オウンゴールのきっかけをつくったうえ、1アシスト1ゴール)という、ネイマールの華麗なショーになった。

 そう、狂乱の時代の開幕日となったのである。

 もっともキックオフ前はみながいろいろな想像をした。「やりすぎないか?」もそのひとつ。世界中の注目を浴びてついつい個人的成功モチベーションが高くなり、気合もプレーも自信も過剰気味になると、往々にして失敗するからだ。だがネイマールは自然体だった。

 逆に「やらなさすぎ?」の想像もあった。猛プレッシャーや新天地不適応感や遠慮などからついついプレーが控えめになると、やはり失敗になる。だがこの面でもネイマールは自然体だった。

 やりすぎもなく、遠慮もせず、しかし自由闊達に動き回り、貪欲で、ソンブレロやプティ・ポン(股抜き)やヒールも飛び出すが、それでいて利他的で、煌めくスルーパスやクロスをチームメイトに発射、プレービジョンを発揮してほとんど司令塔のように振舞い、チーム全体のレベルも上げて、結局さらりとゴールもしてのけた。要するに、ネイマールはネイマールだったのだ。

 この試合最大の犠牲者になったギャンガンの右SBイココは、ネイマールの動きでパニックに陥り、オウンゴールしてしまった。一方ソンブレロとプティ・ポンの犠牲者になったギャンガンのMFドーはと言えば、「他のチームメイトとのオートマティズムが見つかった暁には素晴らしくなる。他チームには頑張ってと言うしかない」と苦笑気味だった。思えば2017年8月13日は、フランス中のSBとCBが恐怖に陥った日だったかもしれない。

 結果、ネイマールの個人データは、128回ボールに触り(リーガ+L1で自己2位)、16回のドリブルを試みて11回成功、デュエル勝利率73%、シュートに繋がったラストパス7本(チーム1位)、敵陣でのパス77本(チーム1位)、1アシスト、1ゴール。ボールロストも33本あったが、ネイマールはやはり自然な笑顔でこう語った。

 「人々はバルサを去ることは死だと思っていたみたいだけど、違う、反対だよ。僕はかつてなく生き生きプレーしていて、すごく嬉しい」

 だがPSG全体でみると課題も多い。やはりネイマールとカバーニの個のタレント力に頼っており、本物の組織力やオートマティズムはいまひとつ。とくに前半はバラエティーに欠け、一丸で守るギャンガンを前になかなかチャンスをつくれなかった。

 またこの試合で先発から外されたパストーレは傷ついて消化できずにいるし、そもそもネイマール到来の最大犠牲者ドラクスラーもプレー機会が激減する可能性がある。これらを管理しなければならないエメリ監督のプレッシャーも絶大だ。おそらく今季のPSGはL1タイトルを奪還するだろうが、万が一優勝を逃したり、チャンピオンズ・リーグで再び躓いたりすれば、今度こそ監督の首は容赦なく飛ぶに違いない。

 2億2200万ユーロの移籍金、給与5年分を合わせると5億ユーロ、高福祉国家フランスの社会保障負担分を加えると7億ユーロ以上の金額が動いた(または動く)、文字通り狂乱の移籍劇――。この“カネの狂乱”には眉を顰めた人も多い。

 だが一方でネイマールは求心力も創り出し、あの怪童キリヤン・エムバペまでが、ついにモナコ発パリ行のジェット機搭乗を夢見始めている。

 もし本当に“自国の至宝”までが合流するようなら、フランスの熱狂はますます高まり、パリは“NCM”(ネイマール&カバーニ&エムバペ)とでも名づけられる攻撃トリオで、“火を吐くケルベロス”(ケルベロスは冥界の番犬として知られる三頭獣)に変身するかもしれない。そんな純粋スポーツ的狂乱なら、ずっと続いてほしいと思うほどだ。

 たとえ歴史上のデ・ザネ・フォルは、束の間の快楽期となり、世界大恐慌と第二次世界大戦という新たな悲劇とともに幕を閉じたにしても――。(結城麻里=パリ通信員)

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