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必勝厳命!そしてWメダルにド~ンと報奨金

[ 2010年2月17日 06:00 ]

長島、加藤のメダル獲りにバンザイする日本電産サンキョーの社員たち

 バンクーバー冬季五輪4日目に日本待望のメダル1号、2号が連発し、列島中が沸きに沸いた。銀の長島圭一郎、銅の加藤条治の両メダリストが所属する長野県下諏訪町の電子部品製造「日本電産サンキョー」の本社では安川員仁社長(59)が涙を流して歓喜。親会社の日本電産(京都市南区)も長島に1000万円、加藤に600万円の報奨金を用意。2人の母校や故郷でも健闘を称える声に包まれた。

 日本電産サンキョー本社会議室には社員ら約100人が集まった。メダルのダブル獲得が確定した瞬間、社員から「やった!」「いいぞ!!」の声が飛び交い、クラッカーで祝砲。「必勝」の鉢巻き姿の安川社長は「2本目の長島の追い上げで流れができた。加藤もピークを持ってきてくれると信じていた。メダルを獲れなかった前回(トリノ五輪)の倍返しだ」と声を張り上げ、目は潤みっ放しだ。
 前身の三協精機創業者の山田正彦氏(91年死去)が、自身が果たせなかった五輪出場の夢を託して57年にスケート部を発足。自ら日本スケート連盟会長、76年インスブルック五輪の選手団団長を務めるなど、競技の発展に尽力しつつ現在の礎を築いた。五輪には14大会連続で代表を輩出中。92年アルベールビル大会男子1000メートルで宮部行範が銅、98年長野大会で清水宏保が500メートルで金、1000メートルで銅を獲得した。
 しかし03年、業績悪化で日本電産の傘下となり、らつ腕経営で知られる同社長の永守重信氏(65)を会長に迎えた。当時、社内には廃部を危ぐする声が支配的だった。就任2年目の新井滋平スケート部長(59)は「スケートは業務、商売とは関係ないから切り捨てられる」と思っていたという。
 だが、永守氏は「マイナースポーツだからどこかが伸ばしていかなければ」と存続を決断。「やるなら勝て」と逆に支援を強化した。海外遠征の飛行機はエコノミークラスからビジネスクラスに格上げ。オフシーズンも「君たちの仕事はスケートだから」と社内業務を免除するように変えた。
 その分、結果も求められ「国内でもすべて、出たらトップを獲れ」と厳命。今村監督は大会ごとに成績をすぐ永守氏に報告しているほどだ。
 日本電産は大会前から金メダルなら2000万円、銀で1000万円、銅で600万円の報奨金を出すと決めていた。半額は会社が出し、残りは永守会長のポケットマネー。日本スケート連盟とJOCからの報奨金と合わせ、長島は1400万円、加藤が800万円を手に入れることになる。
 長期不況で企業スポーツに逆風が吹く中の支援継続がメダルにつながった形。永守氏は「日本電産グループを挙げてスケート部に更なる支援をし、次のソチ五輪ではもっと多くの選手を送り、多数のメダルを獲得したい」と熱い支援を約束した。

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2010年2月17日のニュース