小川直也氏「返せなかった」古賀稔彦さんからの手紙 「感謝」の言葉からすぐの訃報…「何も言えなく」

[ 2021年8月24日 08:00 ]

小川直也氏
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 92年バルセロナ五輪・柔道男子95キロ超級銀メダルの小川直也氏(53)が、23日深夜放送のカンテレ「こやぶるSPORTS超」(月曜深夜0・25)に出演。今年3月にがんで亡くなった古賀稔彦さん(享年53)との思い出を振り返った。

 古賀さんとは同い年で、柔道界では良き仲間、良き理解者だった小川氏だが、プロレス転向した際に古賀さんから一通の手紙が届いたという。

 「それぞれ別々の道に行くことになるけど、向こうで頑張ってくれよ」。

 その文面を見た小川氏は「返せなかったですね。なんて言っていいか…。あいつに何も話さずに、勝手にやっちゃっているんで」と、後ろめたい気持ちも感じていた。一方で「プロレスの世界に行って、自分が成功して後で会えばいい話だなと思って。もう、帰り道はねえな、と思った」と、不退転の決意を抱いたのも事実だった。

 ところがある時、古賀さんの体調が悪いとの知らせを聞き、直接本人に連絡。久々の電話で話すと「去年、1回がんをやっちゃった、と。それを取って、良くなって、半年後の再検査の時にまた引っかかった、と。それが、ちょっと良くなくて。俺も甘くみたんだ」と受話器越しの声が沈んでいた。

 「あの時に会いに行きたかったんですけど」という小川氏だったが、「今は俺、会える体じゃないから」と古賀さんが拒否。体がかなりやせてしまい、「直也に見せられる体ではないし、治ったら快気祝いしよう」と約束して、その場は電話を切ったという。

 ところがその直後。師匠のアントニオ猪木さんが倒れそうな映像をふと目にした小川氏が、心配になり古賀さんに連絡を取ると「俺は元気だし、猪木さんの映像を見て、俺のことを心配してくれたんだろ」と全てを理解した様子で、「心配してくれてありがとう。感謝」とLINEにメッセージが入った。

 だが、「その10日後ぐらいか、いきなりニュースで見て」と小川氏は訃報を知り「言葉が出なかったですね」。翌日には古賀さんのご遺体と対面し、「現実を受け止めたら、何も言えなくなってしまった。自分の世代で亡くなるのがショックで」と、早すぎる別れを惜しんだ。

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2021年8月24日のニュース