【1992年センバツ 松井秀喜世代】衝撃2発…4打数4安打7打点開幕 上宮・黒田博樹は失意の出場辞退

[ 2024年3月15日 07:20 ]

史上7人目(当時)となる2打席連発の3ランを放った星稜・松井秀喜
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 第96回選抜高等学校野球大会(センバツ)は3月18日に開幕する。今大会は一般選考29校、21世紀枠2校、神宮大会枠1校の計32校が選考され、13日間の熱闘を繰り広げる。早春のセンバツは世代を代表するスター選手たちが最上級生で迎える大舞台でもある。「〇〇世代」として春の甲子園を沸かせた選手たちの特集。第7回は1992年の「松井秀喜世代」。(構成 浅古正則)※敬称略

 ■松井秀喜(星稜)

 春の雨で1日延びた開会式直後の第1試合。大会屈指のスラッガーにスタンドの視線が注がれる。星稜(石川)の松井秀喜。1メートル85、86キロの体躯。前年夏に4強の立役者となった主砲が春の聖地に戻ってきた。3回の第2打席だった。2死二、三塁。敬遠されてもおかしくない場面だったが、宮古(岩手)のエース元田が内角の直球で挑んできた。黄金色のバットで完璧に捉えた松井の打球は弾丸ライナーでバックスクリーンの右脇に突き刺さった。悠然とダイヤモンドを回る怪物の豪打ショーの幕開けだ。5回、またも走者を2人置いて打席が回ってきた。内角高めの直球を振り抜くと打球は高々と舞い上がった。中堅手は少し余裕を持って背走するが、打球が落ちてこない。右中間スタンドに達する2打席連続の3ランだ。この大会から甲子園のラッキーゾーンが撤去されていたが、松井には関係ない。第4打席は強烈な二塁内野安打。第5打席は右前に痛烈なタイムリー。第1打席の四球から1度もアウトにならず4打数4安打7打点。後に巨人でチームメートとなる桑田真澄が持つ1試合最多打点記録に肩を並べた。

 試合後のお立ち台。松井はサラリといった。「チームとしてやらにゃいかんこと(優勝が)ありますから。頭の中は記録よりも次のことです」

 2回戦の相手は堀越(東京)。遊撃手には2年生の井端弘和(97年中日5位)がいた。三振、一ゴロ、左飛の後の第4打席。2死二塁。堀越のエース山本幸正(92年阪神5位)が自信を持って投じたカーブを右翼席に運んだ。2試合連続、自身大会3本目となるホームラン。超大砲は「なんでこんなに打てるの?」というシンプルな質問に「甲子園の不思議な力じゃないですかね。実力以上の力が出ます」と笑った。

 準々決勝は前年秋の近畿大会覇者の天理(奈良)。松井は第1、第2打席とも敬遠気味の四球。第3打席は遊ゴロ併殺に倒れた。8回同点に追いつかれなお一、三塁のピンチに三塁への打球をジャッグル。痛恨の失策で勝ち越しを許してしまった。4点を追うことになった9回、左前打を放つが終戦。頂点には届かなかった。夏も石川大会を制し3大会連続の甲子園に立った。2回戦明徳義塾(高知)戦で5連続敬遠でバットを振らせてもらえず敗戦。92年ドラフトで中日、ダイエー、阪神、巨人が1位入札。長嶋茂雄監督がクジを引き当て巨人が交渉権を獲得した。

 ■今岡誠(PL学園)

 5年ぶりセンバツ出場となったPL(大阪)の初戦の相手は四日市工(三重)だった。3回、1点を先制してなおも1死一、二塁。3番・今岡が左中間を破る2点三塁打。7回にも犠飛を放って3打点。14得点の大勝に貢献した。2回戦の仙台育英(宮城)戦でも勝ち越しの右犠飛。3番としての務めを果たした。準々決勝では2年生右腕の松井和夫(現・稼頭央=93年西武3位)が初先発。3回途中で2失点で降板した。打線は東海大相模(神奈川)吉田に沈黙。今岡も4打数無安打で敗れ去った。夏は大阪大会4回戦敗退。東洋大を経て96年阪神1位。

 ■三澤興一(帝京)

 紫紺の大旗を手にしたのは帝京(東京)。大黒柱はエース&4番の三澤だ。2年生の春夏の甲子園にも5番・三塁&第2エースとして出場。2年夏には満塁弾を含む2本塁打で8強入りに貢献している。初戦の日高(和歌山)を1―0の完封。2回戦では佐賀商を1失点13奪三振。三重との準々決勝でも10奪三振の粘投。同点の9回1死一、二塁から勝ち越しの左中間二塁打。自らのバットで4強を引き寄せた。準決勝も完投で浦和学院(埼玉)との接戦を制した。決勝の相手は東海大相模。三澤は12安打を浴びながら2失点でしのぎきった。帝京にとって1980年、1985年に続く3度目の決勝で悲願のセンバツ初制覇を果たした。夏も出場。春夏連覇を狙ったが初戦で敗退した。早大を経て96年巨人3位。

 ■安達智次郎・黒田哲史(村野工=兵庫)

 大会NO・1左腕と称された安達は松井の2連発で沸いた開幕試合直後の第2試合で試合巧者・堀越と対戦した。2回、7番の2年生・井端に先制タイムリーを許すと4回にも井端にスクイズを決められる。6回には8番打者に1発を食って7失点の敗戦。12奪三振も179球、苦闘のマウンドだった。4番・黒田は2打数無安打に終わっている。夏は兵庫大会5回戦敗退。安達は92年ドラフトで松井の“外れ1位”で阪神に指名される。黒田は同年西武4位。

 ○…92年センバツでは前年秋近畿大会準優勝の上宮がセンバツ選考会前に推薦を辞退した。メンバーには元ヤンキース、広島のレジェンド・黒田博樹(96年広島2位)、西浦克拓(92年日本ハム5位)筒井荘(96年中日7位)がいた。センバツ選考会を年明けに控えた91年12月27日、上宮は前監督の不祥事などを理由にセンバツ出場への推薦を辞退することを発表。黒田らは失意のどん底に突き落とされた。夏の出場を目指したが5回戦で大阪大会を制した近大付と対戦。6―7で敗退している。


 【92年センバツに届かなかった“松井秀喜世代”主な選手の秋季大会成績】岩瀬仁紀(西尾東=愛知県大会ブロック予選敗退)、野口茂樹(丹原=愛媛県大会敗退)、井口資仁(国学院久我山 東京ブロック予選敗退)、柴原洋(北九州=福岡大会北部準決勝敗退)、小林雅英(都留=山梨県大会敗退)

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