楽天・銀次アンバサダーの使命…大好きな東北、仙台の人たちへ笑顔の恩返しを、忘れてはいけない3・11

[ 2024年3月12日 05:30 ]

南三陸町で出会った野球少年たちと記念撮影する銀次氏(本人インスタグラムから)

 昨季限りで現役を引退し、今季から新たな役職に就いた楽天の銀次アンバサダー(36)が11日、発生から丸13年となった東日本大震災当時を回想した。当時の星野仙一監督(18年に70歳で死去)との秘話、愛する東北への思い、アンバサダーとしての未来について語った。

 震災から丸13年、本当に早いです。僕らは当時、兵庫でオープン戦をやっていて、そこから1カ月間仙台に帰れず、毎日心配で凄くつらい日々でした。戻ってからも想像以上の被害に言葉がありませんでした。3・11のことは一生忘れられないし、忘れてはいけないと思っています。

 ただ、当時の星野監督は被災地の方々に「一緒に前に進んでいきましょう」と声をかけていた。僕ら選手にも「俺らは野球しかない」「野球で元気にさせようぜ」と毎日のようにおっしゃっていて、だんだんとみんなを盛り上げていこうという気持ちになっていきましたね。(当時23歳で)若かったけど、東北出身者の一人として、自分が先頭に立ってチームを引っ張っていかなきゃいけないと使命感みたいなものは凄く感じました。だからレギュラーになり、2年後に優勝、日本一を達成し、皆さんを少しでも笑顔にさせられたのは凄くうれしかったです。

 今年の元日には能登半島地震という凄く残念なことがありました。ニュースを見て、何もできない自分が凄く悔しかった。その中でも自分たちが、今何ができるのか、しっかりと考えながら行動に移していきたいです。震災を風化させてはいけないという思いもあり、毎年オフに10歳の長男、8歳の次男、6歳の長女を連れて被災地へ行っています。引退後も南三陸、気仙沼、陸前高田、大船渡に行きました。“津波でここまで流されてしまったんだよ”“あそこに何かできているね”というのは行かなければ分からない。それを見せて、子供たちも何か感じ取ってくれると思う。楽天は新人選手が毎年被災地を訪問していますが、必ず続けていかなければいけないことだと思います。

 南三陸で車を走らせていると、野球をしている子供たちがいたので、アポなしで写真を撮ったり、サインを書きました。みんな凄くビックリしていましたね。告知とかせずに、これからもフラッと行きたい。みんなと交流して、喜んでくれる姿を見るのが好きなんですよ。それをきっかけに“俺も野球選手になりたい”と思うかもしれない。そこから野球選手が出れば、その地域がまた盛り上がるじゃないですか。東北の子供たちに夢を持つことの大切さを伝えていきたいですね。

 僕は東北、仙台の人たちの温かさ、表には出さない心の中にある感情、熱さが大好きなんです。引退後も東北に残ったのは、震災を乗り越えながらチームに勇気を届けてくれた恩返しをするため。自分が生きている以上は被災地に行って、大人を含めて元気にさせたいし、笑顔にしていきたいです。(楽天アンバサダー)

 ◇銀次(本名・赤見内 銀次=あかみない・ぎんじ)1988年(昭63)2月24日生まれ、岩手県普代村出身の36歳。盛岡中央から05年高校生ドラフト3巡目で楽天入団。12年からレギュラーに定着し、13年は主に「3番・一塁」として球団初のリーグ優勝&日本一に貢献した。14年に三塁手、17年は一塁手としてベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝いた。昨季限りで現役を引退し、今季からアンバサダーを務める。1メートル74、78キロ。右投げ左打ち。

 ▽13年の楽天 前年オフに斎藤隆、ジョーンズ、マギーと3人のメジャーリーガーを獲得し、戦力を整えた。開幕からエースの田中将が獅子奮迅の活躍。24勝0敗と驚異的な数字を残した。チームは7月4日のロッテ戦に勝利し、首位タイに浮上。そこから一度も首位を譲ることなく、9月26日の西武戦に勝ち、創設9年目で初のリーグ優勝。日本シリーズでも巨人を4勝3敗で下し、日本一に輝いた。

 ▽銀次氏と東日本大震災 地震発生当時はチームに同行し、兵庫・明石でのオープン戦中だった。沿岸部の出身地・岩手県普代村は壊滅的被害こそ免れたが、幼少期を過ごした球場は浸水。同村に暮らす祖父母とは約1週間連絡が取れなかった。7月の球宴前に帰省し、砂浜が変形するなど被害の大きさを痛感した。プロ6年目だった同年は、終盤から1軍に定着。10月5日の日本ハム戦ではダルビッシュからプロ初適時打を放ち、22試合で打率.222の成績を残した。

 ≪練習前に黙とう、マー君 思い“つなぐ”≫仙台市の球団事務所で地震発生の午後2時46分に合わせて球団職員が黙とうをささげた。静岡・草薙球場で練習前に黙とうした田中将は「(思いは)何年たっても変わらない」と神妙な面持ちで話した。チームで当時を知る現役選手は自身と辛島の2人だけとなり「下の代にも、こういう思いを持ってやっているとつないでいかないと」と前を向いた。今江監督も「東北のチームとしての使命感をグラウンドで表現していかないといけない」とコメント。今季は東北6県で公式戦を主催予定で、選手会長の田中和も「来て良かったと思ってもらえる試合をしたい」と続けた。

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