竜党なら絶対に忘れない大島康徳さんの「勇姿」 巨人を粉砕し、リーグ優勝へ導いた奇跡の一本

[ 2021年7月5日 19:18 ]

1977年8月、中日時代の大島康徳さん。
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 中日ファンの間で、語り継がれる試合がある。巨人と激しい優勝争いを演じた1982年9月28日。首位巨人を2・5ゲーム差で追う中日がナゴヤ球場(当時)に宿敵を迎え撃った一戦だ。6月30日に亡くなった大島康徳さん(享年70)は、その戦いで男になり、レジェンドになった。

 9回表を終了し、巨人が6ー2でリード。マウンドに18勝を挙げ、当時全盛期の江川が立っていることを考えれば、試合の行方は9分9厘決まったも同然だった。しかし、勝利を、優勝をあきらめない中日の粘りが思わぬドラマを演出する。先頭の代打・豊田が左前打で出塁し、モッカ、谷沢の連打で無死満塁。ここで打席に立った大島さんの中犠飛で3点差に迫った。さらに宇野、中尾の連続適時打で、ついに同点。優勝したような騒ぎが中日ベンチ、そしてスタンドを支配した。

 クライマックスは延長10回。守護神の角を引きずり出し、2死満塁のチャンスを築き、再び大島さんが打席に立った。ストレートに逆らわずバットを出した一撃は中前へ。通算382本塁打を放ち、豪快な打撃が持ち味だった大島さんが「技」で決めたサヨナラ打だった。

 「外角ストレートに的を絞っていた。バットの先っぽだったけど、抜けると思った」

 冷静な読みを明かした大島さんでも、どうやって一塁まで走っていったのか覚えていないという。

 「僕だって感情の動物ですからね。二度あるってことは三度あるというから、明日の僕も見ていてください」

 試合後の談話は、人生の最期の瞬間まで前向きだった大島さんらしい。主砲が勢いをつけたチームは、10月18日、3度目のリーグ優勝を果たす。

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2021年7月5日のニュース