大島康徳さん死去 70歳 4年前に大腸がん公表 闘病も力尽く 元日本ハム監督 王ジャパンコーチも

[ 2021年7月5日 12:19 ]

元プロ野球選手の大島康徳氏
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 現役時代に中日、日本ハムでプレーし、日本ハム監督も務めた野球解説者の大島康徳(おおしま・やすのり)さんが6月30日、大腸がんのため死去した。70歳。大分県中津市出身。通夜ならびに葬儀は近親者のみで執り行われた。

 大島さんは中津工3年生だった1968年に中日の入団テストを受け、同年ドラフト3位で中日入り。当初は投手だったが、水原茂監督に素質を見込まれて打者へ転向し、入団3年目から1軍出場機会が増えると、83年には36本塁打を放って山本浩二(広島)とともに本塁打王のタイトルを獲得した。87年オフにトレードで日本ハムへ移籍。94年に43歳で現役を引退するまで通算24年で2638試合に出場し、2204安打、382本塁打、1234打点。通算打率は・272だった。

 代打でのシーズン7本塁打(76年)や最年長満塁本塁打(43歳6カ月)は、現在も日本記録として残っている。また、74年の巨人・長嶋茂雄の引退試合(後楽園)では、次世代のスター候補として中日ベンチから花束を届ける大役を任された。また、2000年から3シーズンに渡って日本ハムの監督を務め、森本稀哲や田中賢介ら後に主力となる若手を積極的に抜てき。熱血漢としても知られ、監督時代には3度の退場を経験した。06年の第1回ワールドベースボールクラシック(WBC)では打撃コーチとして王貞治監督を支え、日本代表の世界一に貢献。大一番となった準決勝・韓国戦でのイチローの3番起用は大島さんの発案だった。

 その後、野球評論家として活躍していたが、16年10月にステージ4の大腸がんで手術を受けていたことを翌17年2月に自身のブログで公表。肝臓に転移していることも同時に明かしたが「野球は仕事であり、人生そのもの。球場に行けばアドレナリンが出る。仕事をすることが最高の治療ですよ」と評論活動は継続し、球場にも精力的に足を運んでいた。

 今年5月29日にはブログで腹水がたまっていることを公表。6月3日に入院して腹水3リットルを抜く処置を受け6日に退院したが、17日に再入院した。その後、家族と一緒にいたいという大島さんの希望で在宅医療に切り替え、6月24日に退院して自宅療養が続いていた。

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2021年7月5日のニュース