“秀才”北野・長曽我部 166球で2失点完投 打倒・強豪私学「目標は優勝。履正社を倒したい」

[ 2020年7月30日 05:30 ]

大阪大会3回戦   北野3-2早稲田摂陵 ( 2020年7月29日    万博 )

<北野・早稲田摂陵>好投を見せベンチに戻る北野・長曽我部(撮影・後藤 正志)
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 都道府県高野連による独自代替大会は29日、16大会59試合が開催された。大阪では府内屈指の進学校で、1949年春の甲子園優勝校でもある北野が長曽我部健太郎投手(3年)の好投で4回戦へ進出した。

 息の詰まるような接戦を制した。3―2の9回裏2死一塁。最後の打者を一ゴロに打ち取ると、北野のエース・長曽我部は、この日初めてマウンドで笑顔を見せた。

 「序盤は緊張もあり力んだ。でも後半、野手陣が頑張ってくれると信じていました」

 終始苦しい展開だった。3回2死二塁から適時打され先制を許すと、1点劣勢の5回には中学時代にも対戦した塩田良佑に左越えソロ本塁打を被弾。打線が攻めあぐねる中重苦しい雰囲気が漂い始めたが、「短い練習時間をいかに効率よく使うか。バットを振る量は強豪私学に負けていない。目標は優勝」と言い切る背番号1に不安はなかった。

 反撃の機会を築いたのは、1番打者も務める二刀流左腕だった。7回先頭として打席に立つと四球で出塁。すると失策や3四球が絡み、1安打で3点を奪って逆転に成功した。直後に1死満塁を背負ったが、遊ゴロ、右飛でピンチを脱出。9安打を浴びながらも166球の熱投で、2失点完投した。

 言わずと知れた、大阪府内屈指の進学校。1949年春には甲子園優勝も果たすなど、長きにわたり「文武両道」を貫く。甲子園出場は52年春が最後だが、1年秋から主戦を務める長曽我部を擁する昨秋は16強入り。進撃を期した春季大会では履正社と初戦で対戦することが決まっていたが、新型コロナウイルス感染拡大のため中止となった。「履正社を倒したいです」。強豪との対戦を腕ぶすメンタルもまた頼もしい。

 卒業後は筑波大進学を志望しており、大会期間中も必ず1時間は勉強にあててきた。学校がある日はオンとオフを意識して勉強と野球の両立をこなしてきた3年間。超進学校に在籍しながらも「大学で実力をつけて最終的にはプロにいきたい」と未来を描いている。山田中3年夏には軟式の大阪大会で優勝。秀才左腕が、再び大阪の頂点に立つ。 (田中 想乃)

 ◆長曽我部健太郎(ちょうそかべ・けんたろう)2003年(平15)4月1日生まれ、大阪府吹田市出身の17歳。山田中(軟式)では投手、3年夏の大阪大会で優勝。北野では1年秋からエース。最速138キロにスライダー、カーブ、チェンジアップ、フォークを操る。遠投100メートル、50メートル走6秒2。1メートル65、66キロ。左投げ左打ち。

 ▽大阪府立北野高等学校 1873年4月、大阪府が設立した欧学校を起源とし、旧制大阪府第一番中学校の流れをくむ。1948年に現校名に改称。大阪府でトップクラスの進学校で、2020年の京大合格者100人は全国最多。甲子園には春4度、夏1度出場し、1949年春は優勝。著名な卒業生に森繁久弥(俳優)、手塚治虫(漫画家)、吉野彰(旭化成名誉フェロー、2019年ノーベル化学賞受賞)、有働由美子(フリーアナウンサー)、橋下徹(元大阪府知事)、広瀬俊朗(元ラグビー日本代表)がいる。大阪市淀川区新北野2の5の13。萩原英治校長。

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2020年7月30日のニュース