バス事故から4日…森高、天国の監督に捧げる1勝

[ 2011年7月14日 06:00 ]

<森・中津北>校歌を歌い終え、全力疾走でベンチに戻る森高校の選手たち

大分大会1回戦 森2―1中津北

(7月13日 新大分)
 重光監督、勝ちましたよ――。9日の開会式直後のバス事故で重光孝政監督が亡くなった森が、弔いとなる試合で中津北を2―1で下した。

 天国に響けとばかりに力いっぱい校歌を歌った。胸を張るナインの笑顔とスタンドの涙。「重光監督の野球を全部見せよう」。試合前の平川主将が言葉を全員で守った。先発・後藤が初回にソロアーチを被弾。そこからが「重光野球」の神髄だった。3回1死、その後藤が三塁打で出塁し、野選で同点に。野手陣は打球を何度も横っ跳びで好捕し、一塁にもヘッドスライディング。エース右腕も9安打を浴びながら懸命に粘る。そして8回1死二、三塁で時松が勝ち越し犠飛。ユニホームの「Mori」の青い文字は、最後は全員が泥で読めなくなっていた。

 スタンド最前列にはユニホーム姿の遺影。部長兼任だった指揮官を失い、教え子の小野優哉コーチ(26)が急きょ監督に昇格した。控え部員はまだ1人が入院中。松葉づえでスタンドに陣取った者もいる。県高野連の配慮で試合が1日延期された中、小野監督は「おまえたちのプレーの中に重光監督は生きている」と送り出した。

 「“この場面を重光監督ならどうするだろう”と思いながら指揮した。攻守交代で選手が全力疾走している姿を見ると、ベンチで重光監督が大声を出している気がした」。後藤もピンチのたびに遺影を見つめ「重光監督とやってきた3年間を出し切ろうと思って投げた」。夏の初戦突破は2年ぶり。時松は「重光先生に報告したい。目標は甲子園出場」と誓った。重光前監督が追い続けた聖地への夢。試合後、遺影が優しい笑顔でナインを見守っていた。

 ▼山崎隆典校長 選手たちはこれまで培った重光野球を出し尽くしてくれた。涙もろかった重光監督は、涙を流し手を叩いて喜んでいると思う。

 ▼中津北・前田講平監督(09年に柳ケ浦がバス事故にあった際も対戦)僕自身を含め動揺は当たり前。でもうちもこの夏に懸けてきた。(選手には)精いっぱいやろうと話した。きょう戦って、やはり重光監督の野球だと思った。尊敬できる良いチーム。

 【森高校の9日の事故】大分市での開会式からの帰り道、野球部員と引率教諭ら26人が乗ったマイクロバスが午後1時55分頃、別府市南畑の大分自動車道日出(ひじ)ジャンクションと由布岳パーキングエリアの間の上り線を走行中、大型トラックに追突。バス前部は大破した。助手席に座っていた重光孝政監督が頭を強く打って死亡。副部長の教諭高橋智彦さんが重傷、重光監督の長女の女子マネジャーら部員22人が首の捻挫などの軽傷を負い、7人が入院した。

続きを表示

この記事のフォト

2011年7月14日のニュース