76年モントリオール五輪戦士・北原憲彦さんが歓喜 確立された新たな日本の勝ち方

[ 2023年9月3日 05:23 ]

バスケットボール男子W杯順位決定リーグO組   日本80ー71カボベルデ ( 2023年9月2日    沖縄アリーナ )

北原憲彦さん
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 元男子日本代表のセンター、北原憲彦さん(68)が自身が出場した76年モントリオール五輪以来48年ぶりに自力で五輪切符を獲得した現在の日本代表や急速に成長するバスケットボール界について語った。

 「自分たちの勝ち方をつくりましたね。見事でした。3点シュートに注目が集まるけれど、基本は守備。逆転勝ちした時はいい守りから数的優位になる速攻が出て、武器の3点シュートも生かせた」

 モントリオール五輪の予選はタイで開催された75年アジア選手権。当時、中国は台湾問題で国際オリンピック委員会(IOC)を脱退しており、韓国が最大のライバルだった。

 「2週間の合宿を繰り返して、約2年間韓国対策の準備をした。韓国はシュートが入るので、練習したのはオールコートマンツーマン。試合ではプレッシャーが利いていたのか分からなかったけれど、終盤相手の足が止まって、残り3分で逆転したんです」

 韓国を破って五輪切符を獲得した日本は北原ら2メートル超3人をそろえ、当時大型チームと言われたが、五輪本番では棄権したエジプト戦の不戦勝以外は全て負け、7戦6敗だった。

 「目標が五輪に出ることだったので、準備もできていなかった。コテンパンにやられました。驚いたのはロシア(当時ソ連)の高さ。手先じゃなくて肘でブロックされた。このままじゃ絶対世界に通用しないと思った」

 北原さんは明大卒業後、南カリフォルニア大に留学。帰国後も日本代表の中心選手として活躍したが、その後五輪に出場することはなかった。アジアでは84年ロサンゼルス五輪で復帰した中国が絶大な力を誇り、00年以降は中東勢も台頭。日本は09年アジア選手権では10位に沈むほど低迷した。

 「欧米のまねをして追いつこうとしたけれど、(目指すべきは)そうではなかった。背が高くない、フィジカルも強くない日本人の平面のスピード、技術、3点シュートの特長を認めて、日本に合うスタイルを徹底したのがホーバス監督。日本人にこのスタイルが合っていることが証明された」

 日本では16年にプロのBリーグが発足しNBAなど海外でプレーする選手も増え、短期間で急成長を遂げている。

 「私は米国の恵まれた環境を知って、その差を埋めるのは厳しいと思っていた。それがBリーグができて一気に変わった。昔は就職のためにバスケをしていたところもあったが、今の選手はBリーグで成功しようと志がある。強化にはお金やエネルギーが必要で、これはプロリーグじゃないとできない。こんなに早く変わるとは思わなかった」

 ◇北原 憲彦(きたはら・のりひこ)1954年(昭29)12月11日生まれ、長野県出身の68歳。明大時代に76年モントリオール五輪出場。2メートルのセンターとして日本リーグの日本鋼管で活躍。女子日本代表監督などを歴任し、NBAのテレビ解説なども務めた。現在は江戸川大名誉教授。

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