陸上界に見る選手のカタカナ表記 東京五輪男子100Mの優勝者は「ヤコブス」でいいのか?

[ 2022年6月27日 12:45 ]

自己紹介では「ジャーコブス」と語っているイタリアのヤコブス(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】アルファベットを日本語のカタカナに置き換えることはけっこう難しい。言語体系や文字構成がまったく異なっているからだ。ただインターネットなどがなかった私の記者駆け出し時代に比べると、現在はその作業はとても楽だ。

 本人が自分の名前を発音してくれる動画が存在したり、現地での実況アナウンサーでの発音が聞けるから「完ぺきに正確」とはいかないまでも「ほぼそれに近いカタカナ」を当てはめることが可能。しかしどうも日本のメディアはカタカナにするまでの作業を怠っている気がしてならない(自戒をこめて)。さらに語学教育そのものがこの部分にアンタッチャブルだと思われるので(教えている先生がいたらごめんなさい)、依然としてカタカナにされた外国の有名人が発音的には“別人”になっているケースが多い。

 私の個人的なカタカナ表記における原則は(1)本人あるいは現地メディアの発音優先(2)もし現地に足を運んで当該国の人と話をしたとき最低限度、その選手であることを認知してもらえる(3)名前のアクセントやイントネーションを可能な限りきちんと抑えることができるのかどうかの3点。日本特有のローマ字的表現(発音)を忘れてもらうことも肝要だ。

 米国で名前を発音するとき、アクセントのない母音はかなり省略される。「MURRAY」「LINDSAY」「RAMSAY」はスポーツ関連の人物の姓名によく出てくるが、この3つの名前のアクセントはいずれも最初の母音(U、I、A)にある。すると最後のYの前にある母音(A)はほとんど聞こえないので、「マーリー」「リンジー」「ラムジー」となるのだが、日本ではかなりのケースで「マレー」「リンゼイ」「ラムゼイ」と表記されている。RYとSYならたぶん正解に近いカタカナ表記になると思うのだが、アクセントのない母音への理解度が不足しているような気がしてならない。

 東京五輪の陸上男子100メートルで優勝したのはイタリアの「MARCELL・JACOBS」。彼のラストネームを相変わらず「ヤコブス」と表記している日本のメディアが多いのでひと言申しておきたい。

 まずイタリア語で「J」は外来語に用いられるので日本語で言うところのヤ行の発音にはならない。「サッカーのJUVENTUSはユベントスじゃないか!」と言われるかもしれないが、これはラテン語。その中で「J」はヤ行なので「ユベントス」となっているにすぎないのだそうだ。

 さて「ヤコブス」とされた金メダリストがなぜそうでないのかは、彼自身が「マルセル・ジャーコブスです」と自己紹介をしている動画を見ればすぐにわかる。さらに英語圏のメディアは当然のことながら「ジェイコブス」としているので、カタカナにするならこのいずれかだ。さらに彼のルーツを理解しておけば少なくとも“初動”における方向性は違ったものになったはずだ。

 なぜなら彼はローマ在住で「生粋のイタリア人」とアピールしているものの、生まれたのは米テキサス州エルパソ。確かに母はイタリア人だが、父はアフリカ系アメリカンで、従軍したためにマルセロは3歳で父の赴任先の韓国に渡り、それからイタリアに移り住んだ。英語圏の名前と場所がルーツにあることを把握していたならば「JA」をカナカナにするとき、「ヤ」にはならなかったと思う。

 陸上短距離界を席巻した「USAIN BOLT」のファーストネームもローマ字を読んでいるようなウサインではなくユーセイン。ジャマイカの公用語は英語であり、その英語を使う米国で「UKRAINE」を「ウクライナ」ではなく「ユークレイン」と発音していることを知っていれば、これもまた結果は違っていたはずだが、日本のメディアはなぜか海外で通用しない偉大なスーパースター?をいろいろなところで作り出している。

 もちろんカタカナにした段階で、英アルファベットの名前はすべて正しくはない。それはBとV、RとL、THとSの識別ができない日本語が抱える宿命でもある。

 それでもほんのわずかな時間と手間をかければ、あるいはローマ字的感覚を排除すれば“近似値的”な表記にはたどりつける。1991年の陸上世界選手権で私は米大使館に、その選手の名前の正確発音を知りたくて電話で問い合わせたことがある。それに比べれば現在のプロセスはいたって簡単。ファンの人たちにとってはさほど重要ではないのかもしれないが、それでも私はもし皆さんが選手本人に接触できたときに「通じるカタカナであってほしい」と思う。だからこの“カタカナ選択”は手を抜かないことにしている。

 6月24日にはNBAのドラフトが行われ、58人の新人が指名されたが、NBA自体に米国以外の国の選手が増えていることもあって最近はめっきり“難読ネーム”が増えた。

 全体4番目にキングス指名した「KEEGAN MURRAY」をなぜ私がキーガン・マーリーと表記するのかはもうおわかりだろう。一方、八村塁選手所属のウィザーズは全体10番目で「JOHNNY DAVIS」という選手を指名したのだが、久々に目にした?とてもわかりやすい名前でなんだかホッとしてしまった。

 それでも指名を受けた58人中20人の名前の発音はネットの各サイトや動画でチェックする必要があった。しかもジョニー・デービスという単純明快な名前の選手を指名したウィザーズが2巡目に入って全体54番目(最後から5番目)に指名したのは、コンゴ民主共和国出身の「YANNICK NZOSA」。「NZOSA+PRONUNCIATION(発音)」というキーワードで検索してみると、ある発音系サイトではエンゾーサとしていたが、彼がプレーしている動画の中ではゾーサかソーサ。民主共和国の公用語はフランス語で、そうするとZはザ行で、彼がスペイン・リーグでプレーしていることを考えると、スペイン語のZは英語のTH、いわゆるカタカナ的には仕方のない?サ行だ。

 現時点で彼自身が自己紹介する動画には出会えなかった。なので動画を発見したか、もしくは直接会ったことがある方がいるのなら教えてほしい。近い将来、もし彼がリーグを代表するスーパースターとなったとき、私としてはなんとしても「本人に伝わるカタカナにしておきたい」と思うので…。
 
 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。還暦だった2018年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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