福島千里 引退決断は昨年9月の全日本実業団終了後 「最後まで勝負に徹したいと思っていた」

[ 2022年1月29日 12:34 ]

福島千里
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 陸上女子100メートルと200メートルの日本記録保持者、福島千里(33=セイコーホールディングス)が29日、都内で会見を開き、現役引退を表明した。子供たちにスポーツの楽しさや感動を伝える「セイコースマイルアンバサダー(スポーツ担当)」就任も発表された。

 福島「現役を終えたのですが、引き続きスマイルアンバサダーとして役職をいただいて、とてもうれしい気持ちでいっぱいです。たくさんの子供たちに走ることの楽しさや、陸上を通して挑戦することの大切さを伝えていきたい。私自身が経験・体験してきた感覚やプロセスを、たくさんの選手に少しでも役立てるように、伝えていける機会があれば挑戦していきたい。笑顔を忘れずに頑張っていきたい」

 ――引退を決断した経緯を。
 「目指していた4度目の東京五輪が終わったタイミングでもあったし、ケガのリスクもあり、最後の年は目指している目標に対しての練習よりも、やれる練習を選択することが多かったというのが正直なところではあります」

 ――一番思い出に残る大会は。
 「一番凄く印象に残っているのは最初の(08年)北京五輪で、私の原点になっているのかなと思う。同じ会場で行われた15年の世界選手権では、積み重ねてきた経験や練習を含めて世界と戦えた。予選ではあったけど目指していた走りができたレースだったので、それも印象に残っています」

 ――これから福島選手の背中を追う選手たちに伝えたいことは。
 「私も長く陸上をやらせてもらったけど、楽しいこともあるし、その中では苦しいと思う瞬間もあると思う。続けていないと分からない気持ちがあると思うので、とにかく諦めないで、いろいろなことに挑戦したり工夫したりしてほしい。今後はたくさんの選手を応援していきたいし、頑張ってほしいという気持ちでいっぱいです」

 ――達成感と寂しさ、率直にどういう気持ちか。
 「寂しさはもちろんあります。十分にやりきったと言われれば分からないけど、私的にはやりきったというか、頑張れるところは頑張ってきたかなというところはあります。達成感はそこまでないけど、解放感というのは少しはあるかなと思います」

 ――現役の時に我慢してきて、今一番やりたいことは。
 「もちろん現役中に我慢してきたことはあったけど、それが苦しかったわけでは全くなくて。引き続きグラウンドに足を運ぶこともあると思う。速く走るために全てを急いでやってきたので、のんびりゆっくり動きながら、のんびりしたいです」

 ――引退を決断したタイミングは。
 「(昨年9月の)全日本実業団のあとになります。全日本実業団を最後にする可能性があると心の中では思っていたけど、全日本実業団へしっかり練習を積んできたというのが私の中にあって、引退すると思うと寂しいという気持ちがあふれてレースにならなくなるので、最後まで勝負に徹したいと思っていました」

 ――その時の心境は。
 「割と自分に厳しくやってきたタイプで、やめる、諦めることに対して凄く恐怖心があったけど、コーチやたくさんの方と相談して決めたので、もちろん寂しさはあったんですけど、決断に心強い存在もあったのかなと思います」

 ――近年はつらい状況が続いていた。どのような思いで走っていたのか。
 「ここ数年は苦しいシーズンだったと思っていて、そこで数年前に環境を変えたこともあった。東京五輪を目指すためにさまざまな挑戦をさせてもらったけど、コーチ、トレーナーを含め、私の挑戦を支えてくれたことが続けられた大きな原動力だった。続けるために環境を変えたり、新しいことに挑戦したり、何とかもう1回速く走るために頑張ってきた。目標が達成されるまでは諦める気持ちがなかったので、ずっと続けて来られたかなと、ここ数年は思います」

 ――自分で一番胸を張れる記録、成績は。
 「恐縮で恥ずかしいんですけど、やはり北京五輪に選んでいただいたのをきっかけにずっと世界に挑戦し続けて、目標を達成した瞬間はなかったかもしれないけど、小さな目票を1つ1つクリアして成長を感じることができた。どんなことがあっても工夫して挑戦してきた結果、世界大会にも五輪にも数回出られたのは自分の中で成長を感じる瞬間ではありました」

 ――世界選手権で決勝進出を意識した時期は。
 「(世界大会の)ファイナリストというのは、現役をやってる真っ最中でもなかなか手応えを感じられるものではなかった、というのが正直なところではあります。予選通過でいっぱいいっぱいだったところもあります。準決勝どまりだったこともたくさんの反省があって、予選を通過したいという目標では準決勝に行った時に何もできないと感じたレースはたくさんありました。世界大会でファイナリストを見させてもらって、まだまだ遠いなと感じるシーンも凄くたくさんありました」

 ――15年の北京世界選手権が一番いい状態で走れたということか。
 「もちろん15年は手応えのあるレースはできたと思っています。16年のリオ五輪に関しては日本選手権で(200メートルの)自己ベストも出して五輪に臨めたんですけど、最終的にはケガをしてしまって。さまざまなトレーニングや経験を経て、16年はしっかり戦えると思って臨んだシーズンだったかなと。結果はついてこなかったけど、体的には充実していたのかなと感じています」

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2022年1月29日のニュース