引退の五郎丸 2人の恩師との切っても切れない縁

[ 2020年12月9日 13:15 ]

<ラグビーW杯2015 日本・南アフリカ>後半28分、自身W杯初トライを決めフィフティーンに祝福されるFB五郎丸歩(左)
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 ラグビー元日本代表のFB五郎丸歩(34=ヤマハ発動機)が9日、21年シーズン限りでの現役引退を発表した。日本代表としてテストマッチ通算711得点、トップリーグ通算1254得点はいずれも歴代1位。そのほとんどをトライではなく、右足で稼いできた希代の名キッカーには、切っても切れない縁がある2人の恩師がいる。

 1人は早大時代の04~05年シーズン、ヤマハ発動機では11~18年シーズン(五郎丸が海外移籍した16~17年を除く)、監督の立場にあった清宮克幸氏(53、現日本協会副会長)だ。佐賀工時代に3年連続で花園に出場し、U17や高校日本代表にも選出されたことのあった五郎丸だが、全国の高校から名だたるトップ選手が集まる当時の早大にあっては、決して頭抜けた存在ではなかった。

 大学入学当時、五郎丸本人は「1年から(Aチームで)出られるとは、全然思ってなかった。3年生くらいで出なきゃと思っていた」という。ただ、中学までラグビーと並行してプレーしていたサッカーで磨いたキック力は、当時在籍したFBの中では突出していた。

 「それまで出会った指導者は、欠点を伸ばして良くしてあげるという人が多かった。でも清宮さんは違った。長所を伸ばして、全体も伸ばしてあげる、という指導者。ラグビーは個人スポーツじゃないので、欠点ばかり気にせず、長所をしっかり理解してプレーすれば、15分の1になれると思った」

 まずは課題を克服しようと考えた五郎丸本人とは180度異なる視点から、ルーキーを15番に抜てき。その後の活躍は言わずもがな。日本ラグビー界屈指の名キッカーになるきっかけを与えたのは、間違いなく清宮氏の功績だった。

 そしてもう1人が、五郎丸も「また新たな指導者と出会えた」と言わしめる前日本代表ヘッドコーチ(HC)のエディー・ジョーンズ氏(60、現イングランド代表HC)だ。大学2年の05年に日本代表初キャップを獲得しながら、その後の2回のW杯代表入りを逃していた五郎丸を、就任とともに一貫して招集し、15番で起用。リーダーシップを買い、チームの副将という要職も任せた。

 09~12年にサントリーでGMやHCを務めた時代、ジョーンズ氏の五郎丸に対する評価は決して高いものではなかった。「相手(ヤマハ発動機)の先発にゴロウマルが入っていたら、喜んでいたものです。なぜなら1回走ると、次の場面では歩いている。とてもレイジー(怠惰)なプレーヤーだった」。一方でキック力や、潜在能力は高く評価していた。だからこそ代表HC就任とともに「インターナショナルクラスのキッカーになれる」と言い続け、意識改革を促した。世界的なキックやスピードトレーニングの指導者も合宿で招へい。その成果は、15年W杯で見事に結実した。

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